人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

感染機械、毒電波(1911年・1916年の絵画より)

R・ギイ「中央機械を循環する毒電波とそのメートル座標」1916年

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"Circulation of Effluvia with Central Machine and Metric Tableau" (1916)
Drawing by R. Gie, Patient at Rosegg Sanatorium, Switz.

 世の中には常識では理解できない物事があるとは怪異話の定石ですが、何より人間の心や知覚そのものが永遠に解明できない謎であるかぎり「人間は人間自身を完全に認識できない」ことになり、そこに人間より上位の存在と仮定された神や神秘の実在が信じられてきたと考えられます。科学や医学、哲学や倫理学(本来の倫理学は道徳観が対象ではなく、命題の真偽性とその一貫性の定義で、現代では法学として活用されています)でも完全に人間の認識力や知覚を解明できないならば、体系的な理論で人間を人間たらしめている条件を把握するのは不可能になり、ばらばらに発生した現象の概括からその偏差を観察するしかないとも言えます。大仰な前置きですが、そうしたことを考えさせられるのが今回ご紹介する2点の絵画です。

 まず1916年に描かれた「中央機械を循環する毒電波とその座標」は、当時スイスのローゼグ精神病院の入院患者だったR・ギイによるものです。当時の精神医学は犯罪案件の対象でもない限り富裕階級の患者でないと受けられない贅沢な医療でしたので、R・ギイもドイツ圏の富裕階級の青年だったと推定できます。1916年は数年来から動乱の気配が高まっていた第一次世界大戦の本格的な勃発年ですし、まだ抗生物質開発まで25年以上前だったヨーロッパでも結核は治療困難な風土病であり、スイスのサナトリウムは裕福な結核患者や徴兵忌避を目的とした富裕階級の子息が多く療養入院していました。第一次大戦前夜のスイスのサナトリウムをヨーロッパの縮図として描いたトーマス・マンの大長編『魔の山』(1925年刊)がその時代を克明に後世に伝えています。R・ギイは明らかに精神疾患があり、この画は医療目的で患者に本人が訴える妄想を描かせたものです。

ジェイコブ・モア「感染機械」1911年

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"Influencing Machine" (1911)
Drawing by Jakob Mohr, Czechoslovakian Artist (1884-1940)

 1916年当時のテクノロジーはまだレコードが商業開発されたばかりで、電信通信はまだモールス信号止まりであり、無線・ラジオの開発・普及は1920年代半ばまでかかります。しかし電信通信技術の可能性は1910年代初頭には発表されていたので、早くも「電波」をめぐる妄想にとり憑かれた画家がいました。ドイツ圏チェコスロバキアのアマチュア画家、ジェイコブ・モア(1884-1940)がその人です。現在では病理的研究対象として注目されモア生涯の画業が画集にまとめられて出版されていますが、モアの「感染機械」はR・ギイの絵よりもシンプルに人間が機械によって電波の汚染を受けるさまを図示しており、モアは生涯そのモチーフに固執した絵画を描きつづけました。同じドイツ圏とはいえR・ギイがマイナーなアマチュア画家のモアの画業を知っていたとは思えないので、ギイはギイ独自の直観によって「中央機械を循環する毒電波とそのメートル座標」を描いたのですが、なぜこのような類似した発想が同時代に無関係な別々の人物の絵に現れたかは興味深いことです。

 ギイの絵のタイトルの「毒電波」は正確には「毒素」「悪臭」「汚穢」と訳すべきですが、「中央機械(中枢機関)」から発して周囲の人々を汚染しているのですから端的に毒電波と訳してかまわないでしょう。モアにも共通するこの「電波汚染・感染」という発想は、古代~19世紀までは「霊気(エーテル)」と民間伝承されていた現象の現代的エレクトロニクス化に相当すると考えられます。しかもモア、ギイともにまだエレクトロニクス技術の実用化以前に病理的・概念的妄想から「電波汚染・感染」という発想にたどり着いています。宗教的ヴィジョンはある種の狂気的危機感から人間性の本質的な不安・未知の存在への知覚(察知)に結晶したもの、と見る考え方からすれば、モアやギイの直観も一種宗教的な狂気に近い普遍性を持っている、と言えるでしょう。エレクトロニクス技術のテクノロジー発達が進んだ後世、精神疾患者に診られる「電波」妄想は一種の典型例になっています。もちろん患者間には直接の影響関係もなく、患者各自に別個に「電波」妄想は発症するのですが(間接的な伝聞知識による妄想の肥大は起こり得ますが)、これは同時代的な文明・文化環境の負荷にもたらされた妄想にはある種の典型例が見られる現象と考えられます。では、それらの妄想が一定の時代・文化圏の人間にとって普遍的現象であるならば、これを狂気として区別する根拠はどこにあるのでしょうか。

 人類史の5万年から照らせば、近来文字・数学文明の4千年とは人間にとっては異常な突然変異文明とも見なせます。燃料機関による移動手段すら人類はまだ150年しか経験しておらず、それによる知覚や肉体への負荷はそれまで5万年間の人類が経験しなかったことでした。遺伝子の次元で人類が適応できる以上の速度で人間は文化的環境を無文字文化から文字・数学文明に発達させたとも言えるので、西洋文化圏より東洋文化圏の人間が比較的緩やかに適応不調を招かずに済んだのは識字・数学文化に適応するのに無理な合理化を強いなかったから、と一応は言えそうです。紀元800年代の南米インカ文明は古代ローマを凌ぐ一大文明でしたが、カースト制度の維持のために意図的に文字や数学を禁制にしていたことから、スペインからの侵略と疫病による壊滅のあとはほとんどその文明の痕跡が残らず、遺物の化学分析や推定による復原による解明にしか頼ることができないという例もあります。

 無文字文化下では高等数学は生まれず、科学もごく日常的な手工業次元の発展にとどまるとすれば、インカ文明がどれだけ発達してもエレクトロニクス技術には到達せず、もちろん電信通信技術の開発もなく、病理的に統合失調症者が生まれても「電波」妄想の発想は発生する余地はなかったと思われ、古代からの「霊気」妄想こそあれそれは宗教的な解釈によって認知されたと考えられます。ヨーロッパでさえも霊気は宗教的解釈によって一種の特別な知覚現象とされたので、それが宗教的に容認できる程度の具合によって正気と狂気に区分された、と大ざっぱに言えるでしょう。しかし「電波」妄想となると科学的根拠からこれを宗教的に容認する余地はなくなるので、それが常識的な教育を受けてきた「正常」な人にとってはモアやギイの絵画は非常に気味悪く、狂人の妄想の視覚化として嫌悪感をそそるものに見えます。しかしモアやギイにとってこれは真実彼らに見えた世界像であり、しかも一定の割合で「電波」妄想を現実の世界ととらえている人々がいます。それは精神医学や大脳生理学によって病理的な知覚異常による症状とされますが、もしそうならば人類の遺伝子的知覚にはもともと霊気や電波の存在を直観する機能があり、病理とはその知覚の発現ではないかという恐れが、モアやギイの絵が人々にもたらす嫌厭感の根底にあるように思えます。「正気」の側にいるのはモアやギイを始めとする電波を感受する少数の人々であり、それは近・現代の異常テクノロジーへの失調を起こした人類史5万年に属する側の人間の正常な感覚なのかもしれません。モアとギイの絵画には観る人をそうした不安に誘う根源的な衝撃力があり、100年以上前に描かれた絵とは思えない生々しさがあります。それはこれらが芸術作品としての絵画とは別の次元で成立した知覚そのものの視覚化であり、芸術とは別次元の訴求力によるものと一応は言えるでしょう。しかしその場合、知覚そのものを伝えない「正常」な芸術作品の価値とは何かということにもなります。おそらくこれは誰にも解明できない問題です。

(旧稿を改題・リライトしました)