人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

氷見敦子「夢見られている『わたし』」(『氷見敦子詩集』昭和61年=1986年刊より)

(氷見敦子<昭和30年=1955年生~昭和60年=1985年没>)
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『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊
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「夢見られている『わたし』」

氷見敦子

巣鴨から山手線に乗ったわたしのなかにとめどなく湧き出してくる
睡魔があり、わたしは
曖昧模糊とした意識の波に揺られながらも
女たちが鶏のように動きまわっているのを知覚している
脳の一部で、わたしは
女たちがひとりずつわたしのそばに近寄ってきては
おそるおそる「その男」を覗き込んでいくのだ
ついさっき
うさぎのようなものが飛び込んできたシャツの胸の下には
大昔の空洞がぽっかりと口を開けている
そこから
木立が深くなってゆき
海の底のようなところに井上さんの家が建っている
家の、こんなにも朽ち果てた廊下を
何年も何百年もわたってわたしは巫女になっていくのですね
数え切れない引き戸を開け放った
奥の部屋にはいまでも明かりがともされていて
赤ん坊だけが生きている
永遠に歳をとり続けている果てしない時間のただなかで
寝返りを打ち
うすら笑いをもらす
赤ん坊の声だけが巨大にとてつもなく大きく進化して
きらきら輝いているのだ
耳宇宙よ (遠い昔
耳宇宙のなかへ吸い込まれていった
「その男」を見失ってからというもの
井上さん、と呼びかける声の抜け殻だけが
「その男」の不在へ向かって落ちていきます
螢のような明かりを追った、追っていくうちに身体だけが
いくぶん軽くなっている
巣鴨を過ぎ、山手線が大塚を通り過ぎていく脳の一部に
池袋が入ってくる池袋を確認するわたしは
そこで降りる
多くの人々の波に飲み込まれていく瞬間、わたしは
どこへともなくすっと掻き消えていくのですね

『そのとき、荘周のいう「物化」(物の変化)にこめられた万物斉同の思想、つねに万物が生成変化してゆく運動体としての世界にあっては夢と現実という区別などに意味はない、という考えが浮かびあがってくる。蝶と荘周のどちらが夢でどちらが現実か、そんな区別は必要ない。蝶=荘周なのであり、はてしない変化のプロセスのなかでは、生きている私も死んでいる私も同時に存在しているのだ。それゆえ、この挿話のしめす夢のはたらきは……』*

つかのまの
蜃気楼のように現れることばが網膜の上から走り去っていきます
わたしは、きっと
だれかによってこんなにも深く夢見られている、わたしが
あるとき、何百人という何千人という人の視線から
浮きあがるものであった、こぼれ落ちるものであった
池袋・中央口を出てパルコの方へ歩いていく
わたしは曖昧模糊とした意識の闇から
蘇生する男がいつのまにかわたしと
重なり合っている
剃り残した髭を無意識に撫ぜながらパチンコ屋に入った男によって
ぽつんと夢見られているわたしがいて
二時間もパチンコ台の前に座っている背中に汗が滲んでいます
大きな風が店の中を吹き抜けていくのだった
わたしの指先から弾かれる玉は、銀色の玉が
憑かれたように打ち込まれていく
吹きこぼれる泡のように耳宇宙へ飛び込んでいく
決して取り戻すことのできない時間を巡り続ける
玉が、銀色の玉のいくつかは
二度と戻ってくることはないから
けれども、わたしの指先から弾かれていく玉は
とめどなく銀色の玉が脳のどこかへ打ち込まれていくのですね
それは花火のようにも
羽虫の群のようにも感じられる
きれいねと言った
井上さんを振り返ると店の奥はうす暗くなっていて
樹木だけがうっそうと生い茂っている向こうに
玉を弾き続ける男の指だけが見える

約束の喫茶店に着いたときには
二時間も遅刻していた、わたしを待っているはずの男が
そのときすでに他の街へ向かっている
わたしから限りなく離れていく「その男」が、男の身体は
まるで焼かれた納屋のように崩れ落ちていくのだ
ほんとうは「その男」がわたしから離れていくのではなく
「わたし」が、その男から遠ざかっていくのです
と言うときわたしはついに
何ものでもない
街のどこかで
だれかによって夢見られている「わたし」がいて
池袋・中央口を出てパルコの方へ歩いていく漂っていく
舞いあがっていく「その男」の身体は
いくぶん軽くなり
螢のように流れていったのだと (遠い昔
赤ん坊から聞いた気がする

 *「神々は死なず」松枝到

(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)

「井上さんと東京プリンスホテルに行く」

氷見敦子

 八月十九日/十時過ぎに起床。今日も暑い。慢性的睡眠不足。
井上さんと軽い食事をとって出かける。ボストンバッグには、
柔らかい死体のような水着。千石駅から都営三田線に乗る。
御成門まで一本。東京プリンスホテルにはすぐ着きそう。日曜日なので地下鉄を利用する人が少ない。
ヒトの数が少ない、というのは、恐いことである。
プラットホームから、その日、いなくなった人たちというのは、
その日、だけ、特別に消え去ったのではなく、
あらかじめ、失われていた存在であった、
ことに気づいてしまう。地下という
無機的な空間で、無数の不在に遭遇するのは、とても、
不気味だ。

 *

階段を降りていくと
女が妄想を呼び込むようにして
プラットホームから首を突き出している (ときおり
想念を掻き消すほどの白波が立ち
地下鉄の線路を通って
鯨のようなものが何頭も泳ぎ寄ってくるのだ
目と鼻の先
偉大な妄想に溶けていく女が
最後には芥子粒ほどの悲鳴となって
宇宙へ走り込んでいく
わたしは (といえば
女のあとから稲妻のように落ちてきた恐怖とも
怒りともつかない激情に追いつめられている
汚水のたまった鯨の腹よりも
もっと深いところで目ざめるのだ
地の闇、太古の密林をさまよっているうちに
女とは似ても似つかぬ異相になっている
わたしが退化したけもののように地下鉄へ乗り込んでいく

 *

『ミニミニマップ東京』でホテルの場所を確認する。
ホテル周辺の街をめぐる幾つかの記憶。たとえば、
国土庁へ行ったことがある」と井上さんに話す。話しかけているわたしが、
かつてOLであった、かつてフリーライターであった、わたしの、
目の前から消滅していく「わたし」がここにいて。
 数年前、逗子から横須賀線に乗り、ほとんど二時間かかって、
港区に侵入していくわたしは、神谷町から、
霊友会のそばを通って虎ノ門の方へ向かったことがある。
その、わたしは、いまこの瞬間の「わたし」とは、
著しく隔たっている。その、わたしにとって、
「わたし」は未知の存在である。
未知の惑星と同じである。
 記憶は、
首を飛ばされた鶏のように、
血だらけの地図の上に転がっている。

 *

喉の奥から
隠されていた女の目つきが這い出してしまう
さわさわと目玉を鳴らしたまま
死角にとりつく女が
シルバーシートの上、網棚の上と
視線を跳ね上げ
蠅のかたまりになっていく赤ん坊を見ている
どこからか犬の霊まで集まってきて
赤ん坊を食らう、という
車内の光景が奇怪であればあるほど
血のようなものがどっと耳のうしろへほとばしった
いまさら、
夢の奥へ巨大なカミソリを引きずっていく女を
呼びもどすことはできない
ぽっかりと口を開けた生体の底で
数百億の意識と
数千億以上の無意識がうごめいている
沙蚕のようなその一匹一匹が無限に分裂していく音
宇宙の音楽が夢の内側にとどろき
飲み込まれる

 *

 午前十一時四十分、御成門。地下鉄から地上に出る。汗。
日差しが強い。ほとんど病的なまでに晴れわたった空がまぶしい。
歩道橋を使って向こう側へわたるかどうか迷う。
公園の緑が目隠しになっていて、すぐそばのホテルに気がつかない。

 *

覚醒したまま眠っている
その女の脳に磨き上げたばかりの鏡を嵌め込んでみるのだ
鏡の面に反射する光が
夢の死角ばかりをねらって繁殖する
密林へ吸われていく (あるいは
ナイフのように突き刺さってしまう
狂気
すれすれのところで身をかわした女の血まみれの指が (きっと
わたしを摘み上げている
鏡の面に映し出された「そこ」には
青ざめた死人のような空がどこまでも続いていて
牛の形をした死臭が
のどかに放牧されている
気がつくと
歩道橋の上からも柔らかい首がのぞいているのだった
女の肩のあたりで銀河が回転する
千年、それ以上の永遠が通り過ぎるたびに
わたしの顔が激しく入れ替わっていくので
ときとしてわたしは野生の山羊であり
大きな乳房を垂らしていた
脳の奥地から都市を夢見る日が続いて少しずつ死んでいく女の
磨かれた意志が
からだの奥深く烙印されたあとは
もう、わたしではない
太古の腰を使って波だつ鏡の上を泳ぎ出している

(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)


 氷見敦子(昭和30年=1955年2月16日生~昭和60年=1985年10月6日没・享年30歳)の没後刊行詩集『氷見敦子詩集』(思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊)からは、冒頭の3篇、
○消滅していくからだ (女性詩誌「ラ・メール」昭和59年=1984年10月発表)
○アパートに棲む女 (「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)
○神話としての「わたし」(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)
 をご紹介した際に、氷見敦子の生い立ちや詩集の背景をまとめました。この詩集は没後に編集されたため詩篇は制作順に収録されています。「消滅していくからだ」「アパートに棲む女」は第4詩集『柔らかい首の女』(一風堂・昭和59年=1984年10月刊)刊行に合わせて初めて投稿以外の依頼で商業詩誌に発表になったもので、その2篇は詩集『柔らかい首の女』の追補と言える作風と内容です。氷見敦子は昭和54年の1月から逗子市の実家を出て東京都文京区千石のマンションで詩人仲間で恋人の「井上さん」と事実婚生活に入っていましたが、6月には2年来の胃痛・胃炎が胃潰瘍に悪化している診断を受けます。詩集『柔らかい首の女』刊行直後に受けた内視鏡検査で胃潰瘍が悪性腫瘍状態と知りますが、年末の胃の2/3を切除する胃潰瘍手術時には家族と「井上さん」に胃癌の末期状態であると告知されます。「消滅していくからだ」「アパートに棲む女」も病苦による一種の乖離性症状がうかがえるドッペルゲンガー体験が題材になっていますが、同人誌発表の「神話としての『わたし』」では長詩化とともに本格的に体験の多重化・断片化が進行します。今回ご紹介した、
○夢見られている「わたし」(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)
○井上さんと東京プリンスホテルに行く (同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)
 の2篇は、ついに詩に「井上さん」が登場し、極端に散文的な日常経験の異化による晩年1年間の作風が始まります。日常話法とは違う時制や文法の意図的な逸脱、唐突な直喩や暗喩の平行話法、生理的表現や固有名詞の多用による日常の異化は西脇順三郎金子光晴から鮎川信夫吉岡実を通り、吉増剛造清水昶荒川洋治伊藤比呂美ら1970年代~1980年代の現代詩では水準となった喩法ですが、氷見敦子にあっては病状悪化による体調不良や死の予感への不安から極端に乖離状態が研ぎ澄ませられたのが、直前の「消滅していくからだ」「アパートに棲む女」から「神話としての『わたし』」への飛躍、さらに今回の2篇「夢見られている「わたし』」「井上さんと東京プリンスホテルに行く」への深化・重篤化にはもろに露出していると言ってよく、ここではすでに前述したような現代詩の喩法の系譜とはまったく別に、氷見敦子がたどり着いてしまった幽冥の境がそのまま詩となっている観があります。そのぎりぎりの境地によって遺稿詩集『氷見敦子詩集』は明治以来の現代詩史まるごとに匹敵するほとんど類例のない詩集になったので、それが不幸な夭逝と引き換えになったのはアメリカの女性告白詩詩人の系譜~エミリー・ディキンソン、マリアン・ムーアデニーズ・レバトフ、シルヴィア・プラスらの先例と比較しても、一人の詩人が担うにはあまりに酷にすぎたように思えます。この壮絶な詩集は全編をご紹介していきたいので、毎回ですが詩集目次を記載しておきます。

『氷見敦子詩集』

思潮社・昭和61年=1986年10月6日刊・目次
○消滅していくからだ (女性詩誌「ラ・メール」昭和59年=1984年10月発表)
○アパートに棲む女 (「現代詩手帖」昭和59年=1984年11月発表)
○神話としての「わたし」(同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年9月発表)
○夢見られている「わたし」(同人誌「かみもじ」昭和59年=1984年10月発表)
○井上さんと東京プリンスホテルに行く (同人誌「SCOPE」昭和59年=1984年11月発表)
○千石二丁目からバスに乗って仕事に行く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年1月発表)
○井上さんのいなくなった部屋で、ひとり…… (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年3月発表)
○井上さんと超高層ビル群を歩く (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年5月発表)
○一人ひとりの<内部>の風景を求めて (同人誌「漉林」昭和60年=1985年9月発表)
○井上さんといっしょに小石川植物園へ行く (同人誌「ザクロ」昭和60年=1985年8月発表)
○東京駅から横須賀線に乗るとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年9月発表)
半蔵門病院で肉体から霊が離れていくとき (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年7月発表)
○「宇宙から来た猿」に遭遇する日 (「現代詩手帖」昭和60年=1985年10月発表)
日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく (同人誌「SCOPE」昭和60年=1985年11月発表)