人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ラゴーニア Laghonia - エトセテラ Etcetera (MaG, 1971)

ラゴーニア Laghonia - エトセテラ Etcetera (MaG, 1971)

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ラゴーニア Laghonia - エトセテラ Etcetera (MaG, 1971) Full Album + Bonus tracks : https://www.youtube.com/playlist?list=PL8a8cutYP7frA3qGJETd9gIBzs55KL03z
Se solte por Discos MaG LPN-2412, 1971

(Lado A)

A1. Someday (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom, Davey Levene) - 3:15
A2. Mary Ann (Saul Cornejo) - 5:09
A3. I'm A Niger (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom) - 3:39
A4. Everybody On Monday (Saul & Manuel Cornejo) - 4:45

(Lado B)

B1. Lonely People (Saul & Manuel Cornejo) - 4:52
B2. Speed Fever (Saul & Manuel Cornejo) - 5:55
B3. Oh! Tell Me July (Manuel & Saul Cornejo) - 2:43
B4. It's Marvellous (Manuel Cornejo) - 3:09

(CD Bonus tracks)

9. World Full Of Nuts (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom, Davey Levene) - 3:44*(MaG, 1970, Single-A Side)
10. We All (Saul & Manuel Cornejo, Carlos Salom, Davey Levene) - 3:00*(MaG, 1970, Single-B Side)

[ Laghonia ]

Saul Cornejo - guitarra, piano, voz primer
Carlos Guerrero - voz reserva, coros
Davey Levene - guitarra primer, coros, voz primer (A1, B3)
Ernest Samame - bajo
Carlos Salom - organo, piano (A2)
Manuel Cornejo - bateria, percussion latino, bajo (A3)
Alex Abad - percussion

(Original MaG "Etcetera" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover e Lado A Label)

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 ペルーのバンド、ラゴーニアは以前にファースト・アルバムの『グルー(Glue)』(MaG, 1969)をご紹介しました。ラゴーニアは1970年にベースのエディ・ザラウスが抜けてエルネスト・サマメに交替しており、さらにバックアップ・ヴォーカルとコーラスのカルロス・ゲレロがメンバー扱いのうえアルバム制作に関してスペシャル・サンクスを捧げられています。カルロス・ゲレロは本作解散後にラゴーニアの残党が結成したウィ・オール・トゥゲザーではリーダー格となり、ペルー国内や南米でようやく高い認知度を獲たので、どちらかというとラゴーニアはウィ・オール・トゥゲザーの前身バンドという方が通りがいいようです。ラゴーニアは1965年に結成されたブリティッシュ・ビート系バンドのニュー・ジャグラーサウンドサイケデリック・ロックにシフトしたバンドで、『グルー』を紹介した際に引いたデビュー・シングル「Baby Baby b/w Must Go」はAB面ともメンバーのサウル・コルネーホとアルベルト・ミラーの共作ながらまだビート・グループ色が強いものでした。リード・ギタリストがアルベルト・ミラーからアメリカ人のデイヴィー・レーヴェンに代わってレーベルもMaGレコードに移籍し、68年のうちにMaGからはシングル3枚6曲を発売。新加入のオルガン奏者カルロス・サロムとともにシングルの6曲の再録音と新曲2曲を録音し、バンド名をラゴーニア(苦悩 La Agonia)に変えて1969年にデビュー・アルバムをリリースします。『グルー(Glue)』とは接着剤やシンナーの意味なので(日本にも「スピード・グルー&シンキ」というバンドがいましたが)いかにもヒッピー時代らしいアルバム名の臭いがします。全曲オリジナル曲の『グルー』は同時代の日本のグループ・サウンズの最良のバンドと曲想やアレンジにおいて非常によく似ており、地球の表裏で偶然同じようなことをやっていたわけです。ただしペルーの国内ロック需要は日本よりもさらに乏しかったらしく、MaGレーベルは中堅レコード会社なのに『Glue』のプレス枚数は300枚、そのうち実売は260枚にとどまったといいます。日本でもそうでしたが、60年代のビート・グループ(グループ・サウンズ)と'70年代の主流ロックのはざまがビジネス的にはロックがもっとも厳しかった時期で、この時期の本格的な方向を目指したロックは音楽性を問わずアンダーグラウンドな若者文化の産物として商業的な期待はかけられませんでした。日本でいえばフラワー・トラベリン・バンドしかり、はっぴいえんどしかりで商業的には苦戦し、ペルーではラゴーニア、ジャン・パウル・エルトログロディータ(Jean Paul "El troglodita"、穴居人ジャン・パウル)、トラフィックサウンドがこの時期のペルーのロックの代表アーティストに上げられます。

 ラゴーニアの『グルー』1969、『エトセテラ』1971の2作、トラフィックサウンドの『ヴァージン』1970、『チベット自治領』1971、『ルクス』1972の3作は21世紀になってようやくインカ・ロック(ペルーのロック)の古典、国際的水準で1970年前後のアンダーグラウンド・ロックの宝玉と一部のリスナーから認められるようになりました。アメリカのバーバンク(カリフォルニア)のインディーズ、Lazarus ProductsがJean Paul "El troglodita"、We All Together、Traffic Soundとともに初のアメリカ盤をCD復刻したのがきっかけで、アメリカ国内のみならずイギリス、ドイツ、イタリア、北欧など'60年代後期~'70年代初頭の過渡期のロックの愛好家に伝説的バンドとして知られるようになりました。この時期のロックは全世界的にビート・グループ、R&B、フォーク・ロック、ブルース・ロック、アシッド・フォーク、サイケデリック・ロック、ファンク、ラテン、ノイズ/コラージュなど何でもありで、やがて整理されたハード・ロックプログレッシヴ・ロック、主流アメリカン・ロックやブリティッシュ・ロックに収斂するまでの徒花のような期間でした。トラフィックサウンドにはさらにその傾向が強く現れていますが、この時期のバンドはアルバム1枚に多様な音楽性を詰めこんで特定のジャンル分けができないものになることが多かったのも特徴です。再評価が遅れたのも特定のジャンルのリスナーに注目されづらい実験的なミクスチャー性が大きな原因でした。またラゴーニアは、特に『エトセテラ』ではいっそう完成度を高めたものの、トラフィックサウンドもそうですが英語詞で歌っているばかりか、同時代のイギリスの抒情派系(ムーディ・ブルース系といってもいい)プログレッシヴ・ロックに接近しすぎてしまい、これがイギリスの名門ヴァーティゴやネオン・レーベルだったらマニアが血眼になるようなアルバムにもかかわらず、出生の怪しいペルーのロックということでブリティッシュ・ロック愛好家からはなかなか注目されませんでした。また非英米圏ロックの愛好家にとっては、英米ロックが下敷きでも南米的なユニークなトリップ感覚や英米ロックにないニュアンスに富んだヴォーカル、リズム感でペルーのバンドのアルバムならではの魅力があるトラフィックサウンドはエキゾチックなアピール度が高いのですが、その点でもラゴーニアはトラフィックサウンドにはおよばないバンドでした。トラフィックサウンドのようなバンドは英米ロックにはいませんが、ラゴーニアなら英米でも埋もれたインディー・レーベルにいそうな感じがするのです。そこがラゴーニアの泣きどころでした。

 華のあるトラフィックサウンドと比較すると不利ですが、ラゴーニアのユニークさはペルーらしさと断言はできないにしても非英米圏ロックならではの感覚は聴き返すごとにじわじわわかってくる渋いものです。アメリカ人ギタリストが地味ながら表情豊かな好プレイをしており、当時の英米ロックほどギターが主導したサウンドではなくオルガン、ベース、ドラムス、パーカッションとのアンサンブルが巧みで、ポップスとして良質ですらあります。その傾向はコーラスに迎えたカルロス・ゲレロにアルバムのイニシアチブを渡した『エトセテラ』でさらに強まり、『グルー』よりもさらに同時代の抒情派プログレッシヴ・ロックサウンドに近くなっています。ムーディー・ブルース、キャラヴァン、バークレー・ジェームス・ハーヴェスト、ルネッサンス、キャメル、知名度は下がりますがクレシダ、グレイシャス!、フェアフィールド・パーラー、フループ、スプリング、ファンタジーらのアルバムと並べても遜色のない立派なアルバムになっています。ただ『グルー』でもトラフィックサウンドの名作『ヴァージン』でも言えますが、『エトセテラ』でもサイケデリック・ロック的要素が完全には払底されていないのは当時のイタリア、ドイツ、フランス、日本のバンド同様で、英米ロックが'70年代にサイケデリック要素を切り捨てたか、サイケデリアのブルース面を排除した、もしくは構成的に整然とさせたプログレッシヴ・ロックに変化させたようには、ラゴーニアやトラフィックサウンドサイケデリック・ロックからすんなり離れられなかったのが魅力と限界になっています。皮肉なのは、ラゴーニアのレーベル・メイトだったトラフィックサウンドよりもラゴーニア自身よりも、『エトセテラ』発表後にリード・ギターのデイヴィー・レーヴェン、パーカッションのアレックス・アバドが脱退してカルロス・ゲレロをリーダーにラゴーニアの残りのメンバーで結成したウィ・オール・トゥゲザー(We All Together)の方が国内的にも国際的にも高い評価を得たことで、ウィ・オール・トゥゲザーは『We All Together』1972、『Volume 2』1974(トラフィックサウンドのメンバー参加)の2枚のアルバムを発表した後解散・再結成を繰り返して1980年代、1990年代にも一時的再結成アルバムを発表しているほど根強い人気を誇りますが、ラゴーニアの前身のニュー・ジャグラーサウンド時代以上にポール・マッカートニー直系の楽曲・ヴォーカルとサウンドが特徴で、ビートルズの舎弟バンドだったバッドフィンガーのペルー版と言われるのも無理はないような、日本のチューリップのようなサウンドです。全曲オリジナルだったラゴーニア時代とは打って変わって、ウィ・オール・トゥゲザーのデビュー・アルバムは全10曲中ポール・マッカートニーとバッドフィンガーのカヴァーを4曲もやっています。そのうちバッドフィンガーのカヴァー「Carry On 'Till Tomorrow」がウィ・オール・トゥゲザー最大のヒット曲で代表曲になっていますから、ペルー自国や南米では結局後期ビートルズそのままの作風の方が受けたということになります。

 ファースト・アルバム『グルー』はまだオルガンのカルロス・サロム加入前に発表したシングル3枚・6曲をサロムを迎えて再録音し、新曲2曲を追加して全8曲のアルバムにまとめたものでした。サロム加入後の新曲とオルガン奏者不在時代の曲の再録でオルガンのフィーチャー度にかなり落差がありました。全曲ラゴーニア名義のオリジナルで、楽曲は粒ぞろいの素晴らしいものでした。R&B系の2曲はアメリカ人ギタリストのレーヴェンがヴォーカルで、歌は上手くありませんが良い雰囲気を出していたのも『グルー』を愛らしいアルバムにしていました。レーヴェンのギターの上手さは地味ですが気づくと惚れ惚れとするようなもので、特に音色のデリケートな使い分けには感心させられます。レーヴェンの腕前は『エトセテラ』ではさらに向上しており、リード・ヴォーカルのサウル・コルネーホのリズム・ギター(これも上手い)との絡みは絶妙で快感きわまりないものです。全曲ラゴーニア名義だった『グルー』から『エトセテラ』では作曲クレジットを個人名にしていますが、おそらく兄弟のサウルとマニュエルの両コルネーホの共作がほとんどを占めています。サウル&マニュエル・コルネーホが楽曲創作では明らかにリーダーですが、今回は最初からサロムのオルガンを大フィーチャーし、カルロス・ゲレロによるコーラス・アレンジでヘヴィな方向性ではありませんが、厚みを増した音作りになっているのが目立ちます。トラフィックサウンドが『チベット自治領』『ルクス』と同時代の英米ロックを参照し接近していったのと軌を一にしています。しかし『グルー』や『ヴァージン』の魅力は英米ロックに触発されて一歩進んだ音楽を目指し、思いがけないオリジナリティが生まれてしまった面白さと自由な発送の瑞々しさで、『エトセテラ』や『チベット自治領』は音楽的な安定感と充実はさらに増しましたが、その分英米ロックと同じ土俵に立ってしまった観は否めません。アルバムの枚数やリリース・ペースから見てラゴーニアはトラフィックサウンドより仕事に恵まれなかったと思われ、トラフィックサウンドが金字塔アルバム『ヴァージン』を持っているようには『グルー』も『エトセテラ』も決定盤とはなっていません。佳作以上、秀逸なアルバムとは言えてもラゴーニアの独自性が完全に発揮されているとは言えず、本来もっと意外性に富んだアルバムを作れた潜在能力があったバンドに思えます。その意味でもラゴーニアの最高傑作は『エトセテラ』のCDボーナス・トラックに収録されているオリジナルLP未収録シングルAB面で、『グルー』発表後にエディー・ザラウス(ベース)在籍時最後の録音の2曲でしょう。A面はカルロス・サロムのオルガンをフィーチャーしたノリノリのサイケデリック・ダンス・チューンの「World Full Of Nuts」で、このフィルターを通したヴォーカル、異様な楽器の音色と和声、メロディー、コード進行などメンバー全員の頭に虫が湧いたとしか思えない強力にラリラリなサイケデリック・ディスコ曲と、B面は『エトセテラ』の作風を予告するもカルロス・ゲレロ参加前のためより野趣に富んだ哀愁ガレージ・サイケで、さらに後身バンドのネーミングの由来にもなった「We All」がカップリングされています。もし『エトセテラ』ではなくこのシングル「World Full Of Nuts b/w We All」の延長線上にラゴーニアが次のアルバムを作っていたら、と思うと戦慄するほどすごいシングルです。AB面とも激賞に値しますが、特にA面「World Full Of Nuts」のぶっ飛び具合はサイケデリック・ロックのキラー・チューンでもこれに並ぶものはレニー・ケイ編の名高い古典的コンピレーション『ナゲッツ(Nuggets : Original Artyfacts from the First Psychedelic Era 1965-1968)』1972を始めとする各種サイケ名曲コンピレーションを思い浮かべてもすぐには思い当たらないくらいすごいもので、十分に秀逸と言える本編8曲がボーナス・トラックのラスト2曲で驚異的な逸品に化け、シングル「World Full Of Nuts b/w We All」の追加収録によって本作はトラフィックサウンドの『ヴァージン』と並ぶインカ・ロック秘宝となった観があります。

(旧稿を改題・手直ししました)