人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

『逸見猶吉詩集(ウルトラマリン)』昭和23年(1948年)刊・その4(完)

『定本逸見猶吉詩集』(全78篇)
菊地康雄編・昭和41年=1966年1月・思潮社
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(逸見猶吉<明治40年=1907年生~昭和21年=1946年没>)
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 今回で『逸見猶吉詩集』(十字屋書店・昭和23年=1948年)のご紹介は最終回になります。全4回をほぼ均等な分量に分けてご紹介してきましたが、逸見猶吉(明治40年=1907年9月9日生~昭和21年=1946年5月17日没)生前唯一のアンソロジー参加の小詩集『ウルトラマリン』(昭和15年=1940年3月・山雅房『現代詩人集3』収録)の全18篇中17篇と、『ウルトラマリン』収録詩篇と同時期の創作詩篇(昭和4年=1929年~昭和11年=1936年)は『逸見猶吉詩集』の前半4分の3に収められています。『ウルトラマリン』収録詩編中唯一「熱河」1篇だけが今回ご紹介する詩集の後半4分の1に紛れこんでいますが、逸見自身の草稿の配列順か、編集上の混乱か割付の都合で前半部から洩れたものと思われます。この後半4分の1の16篇(「熱河」を除けば15篇)は、前半4分の3の『ウルトラマリン』期の作品と較べると半分以下の長さの短詩が多いのが目立ちます。詩篇ごとに発表誌を添えてありますが、先に一覧にしてみると創作時期がつかめます。

無題 (昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)
ある日無音をわびて (昭和4年=1929年5月「學校」)
青い圖面 (昭和2年=1927年9月「鴉母」)
秋の封塞 (昭和2年=1927年11月「鴉母」)
眼鏡 (昭和2年=1927年11月「鴉母」)
老將 (昭和11年=1936年10月「歴程」)
哈爾濱 (昭和14年=1939年7月「滿州浪漫」)
海拉爾 (昭和14年=1939年7月「滿州浪漫」)
汗山(ハンオーラ) (昭和14年=1939年3月「滿州浪漫」)
*熱河 (『ウルトラマリン』初出)
無題 (昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)
無題 (昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)
無題 (昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)
無題 (昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)
黒龍江のほとりにて (昭和18年=1943年6月「歴程」)
人傑地靈 (昭和18年=1943年6月「歴程」)

 まとめて「無題」とされた昭和16年の『歴程詩集』発表の短詩5篇は『ウルトラマリン』とはうって変わった戦時下の疲労感を感じさせますが、草野心平らと知りあう前に個人誌「鴉母」に発表した「青い圖面」「秋の封塞」「眼鏡」、また「歴程」の前身の「學校」に「ウルトラマリン」連作の半年前に発表された「ある日無音をわびて」など初期詩篇を見ると、素質の良さこそあれまだ素朴なダダイズム詩にとどまっていて、昭和4年半ばに突然変異のように「ウルトラマリン」連作の詩人に変貌をとげたことがわかります。また山雅房『現代詩人集3』(昭和15年=1940年3月刊)収録の小詩集『ウルトラマリン』の後は口語カタカナ詩が消えて文語体詩が増加しており、これも逸見が敬慕していた萩原朔太郎中~後期の『純情小曲集』(大正14年=1925年)中の「郷土望景詩」や『氷島』(昭和9年=1934年)のように、佶屈な文語体によらなければ緊張を保てなくなった事情が反映していると思われます。

 逸見猶吉は昭和11年(1936年)以降満州国公務員(配給管理)の職に就き、敗戦の翌年に現地で病没しました。日本占領下の満州国在住だったため相当数の戦争詩も残していますが、十字屋書店版詩集の刊行時にはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の検閲を忌避して戦争詩は収録を見送られました(後の『定本逸見猶吉詩集』でようやく収録されました)。わずかに収録された「老將」(昭和11年)、「哈爾濱」「海拉爾」「汗山」(昭和14年)などは「ウルトラマリン」連作の詩人の面目を保つ優れた詩篇です。昭和16年の「無題」5篇では前述の通り戦局の悪化による疲労感の反映を感じますが、昭和18年の「黒龍江のほとりにて」「人傑地靈」はこの寡作な詩人の最後の傑作と呼べるものです。逸見猶吉は晩年に自ら詩集刊行の意図があり、満州詩篇がその中心となるはずでした。しかし結局「人傑地靈」が『逸見猶吉詩集』の巻末を飾るにとどまったのは、まるで詩人自身が遺稿となるのを予期していたようです。

『逸見猶吉詩集』(全38篇)
昭和23年=1948年6月・十字屋書店
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『全詩集大成・現代日本詩人全集12』
(十字屋書店版『逸見猶吉詩集』全編再録)昭和29年=1954年4月・創元社
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無題

冬なれば大藍青の下の道なり
樹々のはだ臘のごと凍りはつれど
樹々はみなつめたき炎に裂かれたり
樹々は怒りにふるへをののき
樹々の闘ひ
殘雪に影ながくたれ
なにごとか祈らんとしていのりあへず
道のはていづことも知れざれども
壮んなる時をよばひて樹々は光にちぬれたり

(昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)

ある日無音をわびて


ぺこぺこな自轉車にまたがつて
大渡橋をわたつて
秩父颪に吹きまくられて
落日がきんきんして
危險なウヰスキで舌がべろべろで
寒いたんぼに淫賣がよろけて
暗くて暗くて
低い屋根に鴉がわらつて
びんびんと硝子が破れてしまふて
上州の空はちひさく凍つて
心平の顔がみえなくて
ぺこぺこな自轉車にまたがつて
コンクリに乞食がねそべつて
煙草が欲しくつて欲しくつて
だんだん暗くて暗くて

(昭和4年=1929年5月「學校」)

青い圖面

 A

俺が窓をあけると貴様は階段を馳けおりた
太陽は起重機の下でぼろぼろに錆びてしまつた
電流の作用で群集の額はたちまち蒼褪めていつた
意識の内部に赤い盲腸が氾濫した
くづれた街角に走つて貴様は誰かをしきりに呼んだ
俺はあをい圖面を手にして窓をかたく閉ぢた

何處かで銃聲が一発した

 B

俺が酒場で考へて居ると貴様は鏡をぶちこはした
壁のむかうから太い首が横暴な主張をどなりだした
往來には無數の寝台が獸のやうに流されていつた
俺と貴様は恐ろしい方角に向つて微笑した
並木のはてで無用の情人と別れた影はすでに消えた
ああ 歪める建築の背後にひそむ現實
とほく運河をすべる秋の慘忍な表情を抹殺せよ

(昭和2年=1927年9月「鴉母」)

秋の封塞

俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する
市街ははや秋の封塞につめたくも斜傾するよ
あの厖大な鐵の下では電波のやうによろめいて
肋骨だけの男らが貧弱に管をまいてゐる
すべてここに實在するものは海面にまで傾倒し
みづからを刺さうとする陰欝なる堆積に充ちあふれ
造船術は街角に灰緑色の皮膚を噛みくだいてゐる
恐ろしい物質の秘密をかんじ その重量を交換し
生物はほとんど幽霊について喚いてゐる
造花はいちめん鋪石の上に血を流し
ああ とほく秋色殺到して
 赤煉瓦
 泥靴
 死
雲は洋紙のやうに巻かれて高く
ひそかに横行するものは高架橋を窺がひ
光線は幾條も運搬され 吠えない犬が稀薄である
錨はすでに鎔解され 百万の時計は瀝青に狂つた
 《なんにも言ふことなんぞあるもんか》
俺は手をあげてゐる 彼奴は用意する

(昭和2年=1927年11月「鴉母」)

眼鏡

どすぐろい男らがいつさんに馳けてゆき
どすぐろい女らがいつさんに馳けてゆき
自然はいちどに憔悴する
工場は一度に燃えあがる
これはなんといふ兇悪な眼鏡の仕掛けであらう
どすぐろい男らがいつさんに倒れ
どすぐろい女らがいつさんに倒れてゆき
あらゆる眼鏡は屠られてしまつた
あ この悲しめる世界の中黙
遠く嵐ははげしく呼ばれ
この鐵橋はさかんにたゝかれてゐる
どすぐろい倒れゆく者等いつさんに重りあひ
やがて曇天は墜落しよう

(昭和2年=1927年11月「鴉母」)

老将

渺たる陣営のほとりにたてば
にごりたつ瘴気やける霜
肉を剿(た)つみごと山川のうつろひに
せきばくたる内奥の夢も痺びれはてたり
最末人の眷属として積年ひとりこゝに曝らされ
あますなき悲慘の終焉をみ送るわれぞ
おゝ光なら無地とうめい亂射のなか
骨髄といふかの不覊なる情緒に過ぎ來たるわが哀傷の渇きたり
凄涼たる日のあしたにも莞爾として
鞭をなぐればわづかに虚しい影の鳴りひゞき
また捲きあげる黄塵にうたれ
がんとしたはるか山濤のいきづらに打ちむかふ
仰げば昇汞の天の底つねに巨いなる陥穽を愛せり
われの呪ふべきかな
噴火獸の餌食とならばなるも善いかな
いくたびか諸惡奴輩の憂愁に共感せるも
いまにして淋漓たるものをつらぬかんと欲情せり
風に乗る硝煙は風のいやはてに絶えんとして
火の陣営に黒一色の死を混じへ
なにものをもさらに混じえず
かくてもわれに参加するものはあらじ

(昭和11年=1936年10月「歴程」)

哈爾浜

埠頭(プリスタン)区ペカルナヤ
門牌不詳のあたり秋色深く
石だたみ荒くれてこぼるゝは何の穂尖ぞ
さびたる風雨の柵につらなり
擾々たる世の妄像ら傷つきたれば
なにごとの語るすべなし
巨いなる土地に根生えて罪あらばあれ
万筋なほ欲情のはげしさを切に疾むなり
在るべき故は知らず
我は一切の場所を捉ふるのみ
かくてまた我が碎く酒杯は碎かれんとするや
かかる日を哀憐の額もたげて訴ふる
優しさ著(し)るきいたましき
少女名は
風芝(ふおんず)とよべり
死の黄なるむざんの光なみ打ちて
麺麹つくる人の影なけれどもペカルナヤ
ひとしきり西寄りの風たち騒ぐなり

(昭和14年=1939年7月「満州浪漫」)

海拉爾

凄まじき風の日なり
この日絶え間なく震撼せるは何ぞ
いんいんたる蝕の日なれば
野生の韮を噛むごとき
ひとりなる汗(ハン)の怒りをかんぜり
げに我が降りたてる驛のけはしさ
悲しき一筋の知られざる膂力の證か
啖ふに物なきがごと歩廊を蹴るなり
流れてやまぬ血のなかに泛びいづるは
大興安のみぞおちに一瞬目を閉づる時過ぎるもの
歴史なり
襤褸なり
永遠熄みがたき汗の意志なり
風の日樺(かんば)飛び 祈りあぐる
おお砂塵たちけぶる果に馬を驅れば
色寒き里木(リーム)旅館は傾けり

(昭和14年=1939年7月「満州浪漫」)

汗山(ハンオーラ)

茫々たるところ
無造作に引かれし線にはあらず
バルガの天末。
生き抜かんとする
地を灼かんとするは
露はなる岩漿の世にもなき夢なり
あはれ葦酒に醉ふ
舊き靺鞨の血も乾れはてゝ
いまぞ鳴る風の眩暈。
 ――汗山(ハンオーラ)は蒙古語にて興安嶺の意なり――

(昭和14年=1939年3月「満州浪漫」)

熱河

冷タク血ニ渇イテ。岩角ヲ 繊維ノヤウナモノ。ソノ杳カナ所 燃エ煌メク深淵(フカミ)ニ難破スル オレノ双(モロ)手。擾キミダス 荊棘ヲ 暗イ溝渠(カナル)ト人影ト死ト。ヒルガエル狂氣ノ轍ト。一沫ノビテユメン。アア 縒リタグル熱風ノ一陣ニ 斃サレテ イチメンノ砂ト無爲ト。ソノ上ノ苛責ト。熱氣ニ刺サレタ網膜ヲズリ墜チテ 何トイフ莫大ナ旅程デアラウカ。オレハ唯一者(タダヒトリ)。灼ケ熾カル自ラノ終焉ニ牙ヲタテ 爛燦タル夢ノ苛察ヲ思ヒ知ルノダ。不可能ノ陥穽ヨ オオ 未知ノ太陽ヨ。スベテ渦巻ケル地平ノ向背カラ 自ラヲ標的トスル虚妄デハナイカ。ズタズタニ肺腑ヲ 荒シテ 羚羊(シャモア)色ノ微塵ガ犯ス。今ハ蒙昧ノ 露ハナル領域ニサヘ驕ルスベモナイ。親愛モナク 糧モナク。掌ニワヅカ最後ノ罌栗ガ潰エ 血漿ガ黝ク 頸ニ錆ビル。晒サレテ 灌木ト死馬ノ間。禿鷹ノ盲イテ 飛ビタツ 熱氣ノ底ヲ 諸々ノ息吹キニ耳ヲタテテヰル オレダ。拡リ擾レテソレハ沸キカヘル人口ト季節ノ 喚聲ニ乗ツテ。干割レタ台地ニ。鋼ノ堆積ニ。雲ノ涯ニ 裂ケマヂル集團デハナイカ。ソノトドロシイ行方ニコソ 暴溢スル流レ熱河デハナイカ。遂ニ熄ムコトノナイ軋轢ニ タチクラム濛氣ノ中ヲ 荊棘ヲ纏ツテ 起チナホル身ヲ震ハスオレダ。岩角ヲ 血ニ渇イテ夏ガ。鐵車ノ轍ガ。惡草ガ。ナホモ杳カナ穹窿ヲ犇イテヰルノカ。

(昭和15年=1940年3月『現代詩人集3』内『ウルトラマリン』収録)

無題

おほいなる纜あげて
わが怒りの發たんとするに
いまぞ擾亂のあくなき海はあやしとも
ぼーうおーうの叫びしきりなり
見えわかぬ無垢の道
冬ブルキの雲間にいりて
非情の友は最末の日縊れたり
かかるとき蒼茫の日なかにかくれて
何者かわれにせまらんとすなり

(昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)

無題

醒めがたき虚妄に身をゆだねつゝ
わが飢ゑの深まりゆくを
日はすでに奪はれて
げにあとかたもなき水脈のおそろし
くろがねの冬の砦は手にとらば一片の雲となるべく
手にとらばわが飢ゑも血をなせる灰とならむを
かくてまた
醒めがたき日を享けつがば
なにをもてわが歌のうたはれん

(昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)

無題

夏は爛燦の肉をやぶれど聲なく
われは假相の作者にすぎざるなり
痺れる水もとうめいに炎をひとたび上げたれど
眼に蒼緑のにがき光をうがちなば
あはれ醉ふこともならじ
迅速のつばさはいや涯の杳き渦流に墜ちんとして
肉のうちをつらぬかば擾然たるを
日ごろむなしきことのみを歌ひ
そが夢のおどろしさに狂奔するものの傷ましきかな

(昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)

無題

秋はみづいろにはがねをなせど
わが眼にくらく辰砂の方陣はみだれおち
岩巣にたちくらむ豺のごと
ひさしく激情のやまざるかな
日は無邊にせまりてものみなの鄙のふるへか
わが肉は酸敗の草にそまりて滄々としづみゆきたり
しらず いづこに敵のかくるや
風の流れてはげしきなかを
黒 ひかり病む鑿地砲臺

(昭和16年=1941年2月『歴程詩集』)

黒竜江のほとりにて

アムールは凍てり
寂としていまは聲なき暗緑の底なり
とほくオノン インゴダの源流はしらず
なにものか廣げしさのきはみ澱み
止むに止まれぬ感情の牢として黙だせるなり
まこと止むに止まれぬ切なさは
一望の山河いつさいに藏せり
この日凛烈冬のさなか
ひかり微塵となり
風沈み
滲みとほる天の青さのみわが全身に打ちかかる
ああ指呼の間の彼の枯れたる屋根屋根に
なんぞわがいただける雲のゆかざる
歴史の絶えざる轉移のままに
愴然と大河のいとなみ過ぎ來たり
アムールはいま足下に凍てつけり
大いなる
さらに大いなる解氷の時は來れ
我が韃靼の海に春近からん

(昭和18年=1943年6月「歴程」)

人傑地靈

巻きあげる龍巻を右とみれば
きまつて鬼(クエイ)の仕業と信じ
左に巻き上がる時
これこそ神(シエン)の到來といふ
かかる無辜にして原始なる民度
その涯のはて
西はゴビより陰山の北を驅つて
つねに移動して止まぬ大流沙がある
それは西南の風に乗つて濛々たる飛砂となり
酷烈にしていつさいの生成に斧をぶちこむ
乾燥亜細亜の一角にきて
彼はこの土地を愛さずにゐられない
目には静かな笑ひを泛べ吃々として物を言ふ
熱すれば太い指先は宙に描がかれ
それはもう造林設計が形の眞に迫る時だ
彼は若く充実せる氣気力にあふれ
喜びも苦しみも
ともに樹々のいのちとあるやうに見える
樹々は彼の幅ひろい胸をとりまき
樹々はみな彼の愛をうけついで向上する
まことに愛は水のやうに滲透する
彼はふり濺ぐはげしい光を浴びながら
さうしてゆつたりと耕地防風林の中に入つてゆく
私は彼とともに人傑地靈を信じる者だ

(昭和18年=1943年6月「歴程」)

(以上『逸見猶吉詩集』全編完)

(旧稿を改題・手直ししました)