人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小野十三郎「嵐の歌」「炎の歌」(詩集『半分開いた窓』大正15年=1926年より)

第1詩集『半分開いた窓』(私家版)
大正15年(1926年)11月3日・太平洋詩人協会刊
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[ 小野十三郎(1903-1996)、大正15年=1926年、第1詩集『半分開いた窓』刊行の頃、23歳。]
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「嵐の歌」

 小野十三郎

銛をうたれた鯨のやうに
真黒な雲が空を荒れ狂ふ
グリリと出歯包丁で殺がれたやうな
暗澹たる地平の彼方から
その生々しい傷の痛みを生きて 突いて
嵐は遮二無二やつてくる
見よ
一枚一枚の木葉
一つ一つの石塊に
一人一人の人間に
すでに嵐の殺伐な前ぶれは
恐怖と戦慄と歓喜の声をあげてゐる

嵐よ
俺は思ふ
お前はかのレーニントロツキーやムツソリニも辟易するやうな
そして到底較べものにならない
おそろしく剛健な意志の所有者だ
俺は レーニントロツキーもムツソリニも
いや おそらく誰ひとりまねられない
そのお前の本能的な自由な意慾と
そして又その強く美しい調和の故に
お前をかぎりなく尊敬し愛せることを
嵐よ 知つてくれないか
俺の意志 俺の精神 俺の行動は
いや 人間の意志 人間の精神 人間の行動は
お前によつて高められ
お前によつて強められ
お前によつて修正される
修正されなければならないのだ
いたるところにお前の灰色に澄んだ眼がある

嵐!
お前の鋭く剔られた魂の悩みを
俺に紹介してくれ
俺はお前にまけないでその悩みを生きぬいてみせる
嵐!
お前の深く殺がれた魂の痛みを
俺にまで分ち与へよ
俺はお前にまけないでその痛みを堪え忍んでみせる
北の北の端から
北の北の極みから
天国の玉座と首都の空に
砲弾のやうな吹雪の団塊をまきあげ投げつけ
家屋を木葉微塵に粉砕し
樹木を根こそぎ吹き飛ばし
警報台をもぶつ倒して
お前はやつてくる

首都の夜更
殷々たるサイレンを流して疾駆する自動車
狂奔する群集と群集
魂の奥の奥から
あらゆる街区の隅々から
ドツと湧き上るあの歓声?
いま、地上の嵐が天上の嵐に呼応する

見よ!
一枚一枚の葉に
一つ一つの石塊に
一人一人の人間に
すでに夜の殺伐な前ぶれは
恐怖と戦慄と歓喜の声をあげてゐる

「炎の歌」

 小野十三郎

薪と乾草と藁の山
ありつたけの石油をぶつかけて火をつけろ!
火だ! 火だ!
炎だ! 炎だ!
炎の柱だ!
焼けただれて墜ちかゝる俺の夢だ!

なげすてろ! 炎の中に
 あらゆる憎悪を
投げこめ! 炎の中に
 あらゆる愛を
葬れ!
 過去を!
而うして焼棄せよ!
 あらゆる旗と綱領を

燃える!
燃える!
燃える!
燃える!
 火だ 山火事だ
森林の空から天国の玉座に飛火する
あらゆる鉱脈を焼き地獄の底の底まで燃えてゆく
燃える!
燃える!
燃える!
燃える!
俺たちの野蛮なすばらしい焚火だ!
薪と乾草と藁の山
ありつたけの石油をぶつかけて火をつけろ!

(詩集『半分開いた窓』大正15年=1926年11月私家版より2篇)


 全163ページに64篇を収め、非売品として領布された自費出版詩集『半分開いた窓』(大正15年=192611月・私家版)は小野十三郎(1903-1996)の第1詩集で、20歳で詩作を始めた大正12年(1923年)以来23歳までの作品集です。詩集は第一部に比較的短い抒情詩が43篇、第二部に比較的長い詩編が21篇収められ、この第二部は内容こそアナーキズム的傾向に向かったものですが、文体や修辞の面では大正時代の民衆詩派と呼ばれた傾向に近く、民衆詩派の詩は今日ほとんど顧みられませんが、当時は石川啄木高村光太郎が民衆詩派の開祖と見られていたように(萩原朔太郎日夏耿之介らもそう見なした上で啄木や高村を高く評価していました)啄木晩年の口語詩や高村の『道程』の長詩をもっと通俗的で冗長にした作風を想像していただければだいたい当たっています。室生犀星の『愛の詩集』や千家元麿の『自分は見た』、有島武郎訳のホイットマン詩集『草の葉』などの優れた詩集も現れましたが、山村暮鳥の第3詩集『風は草木にささやいた』などは第1詩集『三人の處女』の象徴詩、第2詩集『第三稜玻璃』の神秘主義的な実験詩集から民衆詩派的な作風に急転換したために不当に褒貶されることになりました。

 詩集『半分開いた窓』からは連作的な内容を持つ第一部の前半部と第一部後半の代表作、第二部の作風を示す前半の代表作を上げてきましたが、若書きの青臭さ、未熟さはあるといえ資質の良さを示す美点や若書きならではの青春性には見るべきところも多く、小野十三郎自身が後年この第1詩集を「抹殺したい」「クズだ」というほど嫌う理由はそれほど見えてこなかったと思います。小野は具体的には気負った序文に「ヘドが出る」とくさしているのですが、詩集巻末、すなわち第二部最後の2篇は「嵐の歌」「炎の歌」と対をなすタイトルがついており、内容も連作的なものなので、第1詩集編纂時にはこの巻末2作は自信作であり、詩集のクライマックスでありフィナーレとして配置されたものでしょう。そしてこの2篇は文句なしに詩集でも最悪の2篇になっています。

 この2篇で「嵐」「炎」と呼ばれて賞揚されているのが民衆の力なのは喩法から明らかですが、民衆の力を讃える詩人の視点があいまいなのが最大の弱点で、ここでは詩人は民衆の一人なのか傍観者なのかもはっきりせず、つまり当事者であるかもわからないので、どこか外国の革命のニュースでも聞いてひとりごちて興奮しているような様子です。つまり他人事でしかない印象が残るのです。それを突き放して捉える視点でもないので何だかプロレタリア賛歌ではなくプロレスリングの応援めいた空々しさが残ります。詩集巻頭、第一部巻頭の2篇の詩人はこういう自画像を描いていました。


 秋になつて
 郊外の林の中へ入つて行つた
 林の中でみたものが魚の骨
 林の中から丘の方をみると
 あゝあゝたくさんの子供が赤青黒白で
 赤青黒白が黄色い顔をちらちらさしてゐた

 (「林」全行)


 街道沿の畑の中で
 葉鶏頭を盗もうと思つた
 葉鶏頭はたやすくもへし折られた
 ぽきりとまことに気持のいゝ音渡ともに
 ――そしてしづかな貞淑な秋の陽がみちていた
 盗人め! とどなるものもない
 ぼくはむしろその声が聞きたかつたのだ
 もしその時誰かが叫んでくれたら
 ぼくはどんなに滑稽に愉快に
 頭に葉鶏頭をふりかざして
 晩秋の一条街道をかけ出すことができただろう
 しかしあまりたやすく平凡に暢気に
 当然すぎる位つまらなく盗んだ葉鶏頭を
 ぼくはいま無雑作に
 この橋の上から投げ捨てるだらう

 (「盗む」全行)

 また第一部後半ではさらに鋭角的な自己省察が見られました。

 僕はあの蘆間から
 水上の野鴨を覗ふ眼が好きだ
 きやつの眼が大好きだ
 片方の眼をほとんどとぢて
 右の腕をウンとつつぱつて
 引金にからみついた白い指丈をかすかにふるわして
 それから蘆の葉にそつと触れる
 斜につき出た細い銃身
 あいつの黒い眼も好きだ。

 僕はあの赤い野鴨も好きだ
 やつの眼ときてはすてきだもの
 そして僕は空の眼が好きだ
 あの冷たい凝視が
 野鴨を悲しむのか
 僕は僕の眼を憎む
 この涙ぐんだ僕の眼だけを憎む
 覗ふ眼 銃口の眼 鴨の眼 空の眼が
 静かに集ひ
 鴨を射つ

 (「野鴨」全行)


 断崖のない風景ほど怠屈なものはない

 僕は生活に断崖を要求する
 僕の眼は樹木や丘や水には飽きつぽい
 だが断崖には疲れない
 断崖はあの 空 空からすべりおちたのだ

 断崖!
 かつて彼等はその風貌を見て昏倒した
 僕は 今
 断崖の無い風景に窒息する

 (「断崖」全行)


 第二部前半の思想詩的作品もまた、自他への批判的観察から生まれたものです。


 僕は頭脳の中で
 非常に無性格な一つの風景を想起する
 そこには僕がふだんに見るやうな
 草木、家屋のただ一つもあつてはいけない
 と云つて表現派の舞台面のやうに極 端に変歪されてゐてもいけない
 さあ何と呼んでいゝのか
 かりに絶対平凡と呼んでおいてもよい
 僕の思想や感情は
 かゝる想像された色彩のない世界を
 絵葉書を半分に引き裂くやうに
 徹底的に破壊してしまふためには
 実に豊富なあり余る力を蔵してゐるやうな気がする

 (「ロマンチシズムに」全行)


 お前の内容はね
 貨物船の排水量のやうに
 いやにドツシリと俺の脳髄の上にのつかつてゐるが
 お前を繋留してゐる鎖は
 浪にゆらぎ
 潮に流れるたんびに
 まるで凧の糸のやうに 伸縮自在
 どこへでもその蠣殻の喰つついた錨をひきづつてゆく
 ブルジヨアの処世術のやうな
 お前の行動の自由さ加減は
 いやまつたく俺を感心させるよ

 (「虚無主義に」全行)


 僕の頭蓋骨の中には
 煤けた共同長家が列んでゐる
 そこには実にありとあらゆる思想が
 隣りあひ向ひあつて棲んでゐる
 やつらは各々孤独をまもつて
 朝夕の挨拶すらロクに交さない
 奴らは揃ひも揃つて働きのない怠け者で
 その日その日の糧にも窮してゐる
 うちつづく営業不良に見る影もなく 痩せ衰へてゐる
 穴居時代の民族のやうに
 みんな憂鬱でありみんな疲れてゐる
 こゝには弱肉強食も相互扶助もないんだ
 ひとりを隔離しひとり存在してゐる
 秋がきた
 冬も近い
 時々奴らは家を空にして
 何処かへ出てゆく
 冬眠の仕度にかゝるんだらう
 が、獲物を仕入れて帰つてくる奴もあれば
 そのまゝ永久に姿を晒してしまふのもある
 空家はすぐに塞つてしまふのだ
 入れ代りに変つた野郎がいづこからともなくやつてきて
 一言の挨拶もなくその家の主人におさまりかへる
 そして自分の周囲に
 以前に倍する高い堅牢な城壁を築いてしまふ
 あゝ
 その一つ一つの巣に
 これらの生気の無い蒼ざめた思想の 一つ一つの形骸を眠らせて
 僕の頭蓋骨も又冬に突き入る

 (「思想に」全行)

 梶井基次郎の「檸檬」(大正14年1月発表)に近い発想の「盗む」(梶井の檸檬に対して、ここで犯罪への想像力を託されるのは鶏頭の花です)から、自分の脳内を空虚な思想の蝟集する分割空間と想像するまでに自己解体を意識していた詩人が、「嵐の歌」「炎の歌」のプロレタリア大衆のエネルギー賛歌を詩集の締めくくりに持ってきてしまったのは、小野十三郎の手ぬかりというよりは同時代詩人・読者へのわかりやすい態度表明の意図があったでしょう。それが結果的には詩集巻末にもっとも安易な作品を据えることになったのが何より後年の詩人自身にとっては悔やまれてならなかったと思います。しかしそうした誤算も含んだ第1詩集があったからこそ次の新作詩集『古き世界の上に』(昭和9年=1934年)以降の充実もあったので、23歳の詩人が31歳ではしっかりと自己の文体を確立した過程はそこで追うことができます。また前掲のように『半分開いた窓』もそれまでの日本の詩と切れた詩の世界をすでに持っていて、少なからず見るべき点を持つ詩集には違いないのです。

(旧稿を改題・手直ししました)
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