人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

石原吉郎「涙」(遺稿詩集『満月をしも』昭和53年=1978年より)

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◎安野希世野「ちいさなひとつぶ」(TVアニメ『異世界食堂』エンディング・テーマ) MV (アルバム『涙』Flying Dog, 2017) : https://youtu.be/eJ5eOMUmcEY
◎安野希世野「ちいさなひとつぶ」Full Size (Flying Dog, 2017) : https://youtu.be/IHmyGSilVXE

石原吉郎大正4年(1915年)11月11日生~
昭和52年(1977年)11月14日没(享年62歳)
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レストランの片隅で
ひとりこっそりと
食事をしていると
ふいにわけもなく
涙があふれることがある
なぜあふれるのか
たぶん食べるそのことが
むなしいのだ
なぜ「私が」食べなければ
いけないのか
その理由が ふいに
私にわからなくなるのだ
分らないという
ただそのことのために
涙がふいにあふれるのだ

(遺稿詩集『満月をしも』昭和53年=1978年収録)


 石原吉郎(1915-1977)急逝後に生前すでに編纂が終えられ、没後出版になった詩歌集は第7詩集『足利』(昭和52年=1977年12月刊、全39篇)、第8詩集『満月をしも』(昭和53年=1978年2月刊、全47篇)、歌集『北鎌倉』(昭和53年=1978年3月刊、全99首)の3冊ですが、この「涙」は詩集『満月をしも』に収録され、詩集唯一の初出不詳詩篇だったものです。詩集『足利』『満月をしも』はともに昭和50年(1975年)から逝去寸前までの詩作を収めているので、この「涙」は生前未発表作品で最晩年の『満月をしも』編纂時に加えられたか、または書き下ろしされた作品と推定されます。この詩については、石原吉郎の詩人デビュー初期に発表されながらも生前刊行の最後の詩集になった、第6詩集『北條』(昭和50年=1975年4月刊)までの全詩集『石原吉郎全詩集』(昭和51年=1976年5月刊)の「未刊詩集」の部に初めて収録された同人誌発表作品がその注釈になるでしょう。石原吉郎は外語大学卒業・就職を経て24歳でプロテスタントキリスト教宣教師を目指し神学校に再入学した直後から徴兵され、ハルピン従軍時に敗戦を迎えてからは38歳のスターリン逝去による恩赦からの帰国までシベリア抑留兵として過酷な強制労働を送っていた詩人です。キリスト教徒としては23歳の受洗以来晩年まで日本基督教団に籍を置いていた人でした。

 晩年の詩篇「涙」と照応するこの初期詩篇「悪意」は、昭和29年10月発表の初投稿詩から昭和38年(1963年)までの作品を集めた48歳の第1詩集『サンチョ・パンサの帰郷』(昭和38年12月刊)に未収録に終わったのも納得のいく、同時期の初期の佳作「葬式列車」や「自転車にのるクラリモンド」に較べて抽象度・イメージ喚起力ともに弱い作品です。信仰の無力によって信仰を知るとは発想はむしろ厳格なカトリックに近く、またそれを神に訴えるのはユダヤ教カトリックプロテスタントを問わず信仰の形態としてはもっとも悪い、傲慢の罪に当たります。当然神学校入学までした石原吉郎がそれを自覚しないわけはなく、この詩に「異教徒の祈りから」と題辞があるのはその証拠です。神を疑うこと自体が神の実在の証明という認識において、石原吉郎の信仰は曖昧で漠然とした無神論ではなく、西洋の正統的な反神論の系譜を継ぐものです。それゆえに詩としては「悪意」は純粋詩としての昇華を欠き、悩めるクリスチャンの心境告白にとどまります。その点、晩年の詩「涙」は存在の不安という同じテーマを詠みながら、信仰懐疑詩の限定を越えて、より普遍的で具体性のある作品になっています。あえて言えばこの「涙」は必ずしも「食べる」ことから発想される必然はなく「はたらく」「しゃべる」「着がえる」「ねむる」「愛する」など「食べる」に置きかえて「生きる」こと一般の何にでも代入が可能なのですが、ここではやはり食事を選んだのがいちばんはかなく限りある生命の痛覚を突いていて、詩「涙」を哀切な作品にしています。そういえば食事と「涙」を結びつけた歌曲があったのを思いだしたので、その動画を今回の冒頭に掲載しておきました。石原吉郎の詩ともどもご参観いただければ幸いです。

悪意

 異教徒の祈りから

主よ あなたは悪意を
お持ちです
そして 主よ私も
悪意を持っております
人間であることが
そのままに私の悪意です
神であることが
ついにあなたの悪意で
あるように
あなたと私の悪意の他に
もう信ずるものがなくなった
この秩序のなかで
申しぶんのない
善意の嘔吐のなかで
では 永遠にふたつの悪意を
向きあわせて
しまいましょう
あなたがあなたであるために
私があなたに
まぎれないために
あなたの悪意からついに
目をそらさぬために
悪意がいっそう深い
問いであるために
そして またこれらの
たしかな不和のあいだで
やがて灼熱してゆく
星雲のように
さらにたしかな悪意と
恐怖の可能性がありますなら
主よ それを
信仰とお呼び下さい

(同人誌「ロシナンテ」昭和30年=1955年6月)