人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「眠れる森」第3章(続き)

画数を調べると「茜」の一字では不足なことが判った。あと何画、と索引を引きき「音」の一字を見つけた。茜音、と書いて「あかね」と読ませる。ちょうど妻の昼食時間になった。妻のご両親は午後から見舞いに来る。ぼくは明日の午後には帰る。
「ぼくの実家は事後承諾で済むけど、ゆきこさんのご両親には…いいのかな?」
「大丈夫よ。私とあなたで決めたことだもの」
出生証明書を持ってY町の役場に出かけ、長女の出生届けを出した。役場は質素な木造二階建てで、受付には灰皿が置いてあった。人口四千人の町役場とはこんなに閑雅なものなのか、と感心しているうちに手続きは終わった。
「おめでとうございます」
翌日初めて長女を抱いた。抱きかたは看護婦さんの教えを受けた。頭とお尻をしっかり支え、密着させるようにして抱く。看護婦さんに写真を撮ってもらい、妻が娘を抱いている写真も撮った。32歳の妻は、まるで16歳の少女のようだった。帰宅できるぎりぎりの新幹線に乗って、翌日からは仕事に戻った。
妻とは毎晩電話していたが、迎えに行ったのは三ヶ月後だった。新幹線はグリーン車、東京駅からはタクシーで帰宅した。
「可哀想な事したね」
とぼくの父は言った。「ゆきこさんのご両親、さぞや寂しかっただろう」
だが生活の拠点は川崎市多摩区にある。長女の公立保育園の入所申請を控えて、保育園の隣のマンションに転居した。妻は郵便局員、つまり当事は国家公務員だったので入園は確実と見込んだが(事実入園したが)、最初の父母説明会で園長が開口一番、
「皆さんは選らばれた幸運を感謝してください。この保育園は東大合格率より高いんです。うちはご両親も含めて教育します」
これにはブーイングの嵐だった。
その園長が一年で去ると、保育園は見違えるように家庭的で暖かくなった。長女はそこで伸びのび育った。年長児には可愛いがられ、年少児には慕われた。ふっくらした童顔で、話し上手で聞き上手だった。育児と家事と仕事、第2子を懐妊した妻…仕事仲間には、
「地獄だな」
と言われたが、「人生の地獄とは人を愛せない事」(これもドストエフスキー)だ。…ぼくの失業へのカウントダウンは、その頃から始まっていたのだが。