人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

不機嫌な森(1)

優しい里霧さん、

タイトルがちょっと不穏でごめんね(不穏を変換しようとしたらフォンデュが出た。チーズフォンデュは妻にも娘たちにもお気に入り料理だった。ラザニアも…二人とも離乳食からぼくが食べさせてきたんだ)。
ちなみに下北沢に美味しいチーズフォンデュの店がある。よくデートした。

ひとりきりの森、とタイトルを変えようか。電話するひとりの友人もいない。掛けてくる人もない。だからってスナックなんてほくの柄じゃない。
離婚と共に娘たちを環にした親通しの友人関係からも弾き出された。ただ娘たちの掛かり付けだったO小児科・内科(妻もぼくも)だけはぼくが自分自身の心身の健康を損ねるほど家族を大事にしてきたことを覚えてくれていて、ぼくからは出せなかった今年も年賀状をくれた(他には吉祥寺よみた屋さん、ギャラリー・アニータで知りあった数人の美術作家さん)。

また同じようなことの繰り返しになる…
きみを愛さなければ、こんな孤独だって知らずにすんだだろう。

別れた妻との結婚は30歳・32歳と遅かったから、結婚自体が目的でもあった。彼女もぼく(半年前に恋人と別れていた。つらかった)も結婚相手を求めていた。ただの恋人じゃない、この人こそはという結婚相手。
彼女を説明するのは難しい。最初からバカと身持ちの固さが同居してた。何が好きなの?と当然次のデートの誘いでぼくが訊く。
「カレー」と彼女。そうか。どんなカレー?
「普通のカレー」
最初のキスでは失神した彼女だったが、3日とおかないデートではいけてる勝負服で、別れのキスは全身を絡みつかせるような抱擁と共に濃厚だった。
ぼくの恋人たちはみんなそうだった。ぼくを相手に全身を使い、ぽくという男から自分も感じる工夫を楽しんでいた。

またきみを嫉妬させたり、劣等感を感じさせたりしてしまうのだろうか?

ぼくが愛したのは、みんなバカ女だった。

きみは素敵だよ。「森の構成・悲しみ」で里霧をヒロインにしてプロット以上に描いたよね、愛の場面を。でもぼくがきみから知ったのは、こんなに可愛いのに抑圧されたセックスしかしらない女性と、自分の男女対等(または女性優位)の感覚が相対的でしかない、ということだった(例えばぼくはキリスト教の絶対的影響下にあるだろう)。