きみはぼくを夫に選ばないだろう。ぼくもきみは勘弁だ。なのにこんなに求めあう関係になってしまった。たぶん今夜もぼくはきみを存分に犯して、きみとの架空の対話の中できみの願望を聞き出し、きみをもっと感じさせてあげる。
恋人通しならこんな妄想も許されるよね?
…拘置所の出所翌日、引っ越しのために住民票と転居届を取りに多摩区役所に行き、花屋でサボテンの鉢を買った。次女の通う保育園にあいさつに寄った。園長先生はじめ手の空いている保育士さんはみんな出てきた。4か月ぶりになる。事情はみんな知っている。
「今園庭で遊んでるんですよ。よければ呼んできましょうか?」
文音には会えなくてもいいです、ただこのサボテンの花がそばにいてくれれば、とぼくは言った。下駄箱の次女のお気に入りの靴を見た。名前は佐伯文音から川崎文音に張り替えてあった。これが最後だ。こういう時にはかえって涙など出ないものだ。結婚して10年来、独身時代からなら20年を過ごした多摩区。おしまいだ。午後には座間に戻って契約を済ませ、今晩からコーポ松に定住する。
前日の判決日に傍聴席の担当刑事から「もう多摩区には来るなよ!」と暴言を吐かれたが、転居手続きの書類取得ではしょうがないじゃないか。馬鹿野郎。
多摩区宿河原には愛着があった。独身時代は地の利だけだったが、結婚して娘たちを授かってすっかり地域の一家庭になった。
妻はぼく以上だった。徒歩圏の平坦地、医療施設と買い物施設の充実、整備された大きな自然公園、大小様々な公園、桜並木、何より娘たちを通して知りあった家族ぐるみのつきあい。おまつり、市民祭、バザー…すべて妻が愛し、病状の悪化したぼくには耐え難いものだった。
これは小説の断片だね。でもきっとぼくもきみに甘えたいんだ。