そうだ、「情事の終わり」があるじゃないか、と思いついたのは要するに近代・現代の恋愛小説は不倫小説ばかりなのに改めてきづかされたからだった。あるいは失恋小説。さすがに三島は狙いが鋭く、不倫や失恋の要素の一切ない「潮騒」でますます評価を高めた。完璧なフェイク。
三島は坂口安悟とともに精神医学では双曲性感情障害(躁鬱病)の文献になっている。安悟はシゾイド・パーソナリティ障害、三島はナルシズム・パーソナリティ障害が指摘される。北杜夫さんという精神科医で自分自身が躁鬱病だと早くからカムアウトした人もいます。中島らもさんは階段から転落死しましたね。精神障害になると話がどんどん逸れてしまう。
ラファイエット夫人「クレーヴの奥方」が元凶だろう。フランスの恋愛小説は不倫一直線だった。コンスタン「アドルフ」、スタンダール「赤と黒」、決定的なフロベール「ボヴァリー夫人」、フロベールの弟子を標榜したエミール・ゾラ、反フロベール派のブールジェ…そして健康な天才少年ラディゲが「肉体の悪魔」と「ドルジェル伯の舞踏会」で不倫小説にとどめを刺し、自分もすぐ死ぬ。掘達雄も三島もここから出発した。(もちろんトルストイ「アンナ・カレーニナ」という金字塔があるが、トルストイは貴族だったからフランス文化圏に属する。ロシア生粋の不倫小説はチェーホフの「犬を連れた奥さん」まで待たなければいけない)。
ぼくは近所の書店に注文して「犬を連れた奥さん・可愛い女」を取り寄せた。もう彼女とは体の関係に進んでいた。「今はわかります。あなたは違う結末も想像できると言っていたけど、このまま二人とも苦しむのです」
可愛い女だった。「あなたが必要なの」「どこが?」「…存在」「ぼくはきみの好きな所を100と言われれば101答える」「私は一言で言える。ぜんぶ」セックス中の会話だから割り引きするべきだか、彼女の殺し文句にはまいった。
38歳、結婚以前にも男性経験はあり、結婚後にはお嬢さん二人を生んでいる。しかし彼女はセックスでオーガズムを経験したことがなかった。彼女にとってセックスは「苦痛か無感覚か惰性、強制」だった。ぼくは彼女とのセックスでオーガズムを初めて経験させた。