人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

安東次男「CARANDRIER 」より

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原爆シリーズ第三回(完)は安東次男(1919-2002)を紹介する。この人はバリバリの共産主義詩人から始めてシュールレアリズムに移り40台半ば以降は近代俳諧の研究と句作に本格的に足場を移した。とにかく頑固オヤジとして先輩詩人・俳人、同時代の仲間・新人もタルんでいるとビシビシ批判した。でもなにより自分に厳しい人だから非常に尊敬され、重鎮の位置を失わなかった。
紹介する詩は60年の詩集「CARANDRIER」より、12月に分かれた詩集の8月篇を担う。詩のテーマは被災者慰霊詩を書くことの欺瞞性、それをあえて不自然な改行とグロテスクな文体で描いている。それが現代詩というものだ。全編を引用する。

建てられたこんな塔ほど
死者たちは偉大ではない
ぼくは死にたくなんぞないから
ぼくにはそれがわかる
ところでなぜぼくは
こんなところに汗を垂らしてうつむいて
いるのだ一篇の詩がのこしたいためか
似たりよったりの連中のなかで
生まれもつかぬ片輪の子を生んで俺の
子ではないとなすりつけ
あいたいためかぼくにはそれがわかる
建てられたこんな塔ほど
死者たちは偉大ではない
(「碑銘」Aou't)