伊東静雄(長崎県諫早市生・1906-58)。生涯を大阪の中学校の国語教師に従事したこの人は同時代最大の詩人だった。およそ50年前のフランスで、最大の大詩人だったステファヌ・マラルメが中学校の英語教師だったのを連想する。共に萩原朔太郎、シャルル・ボードレールといった先行詩人を持つこと、生涯の全作品を集めても200ページにも満たない寡作家であること、寡作と比例する詩質の高さなど共通性も多い。そして一読して理解できる詩を書かなかった(伊東は晩年につれて平易になるが)ことなど。
引用に移る。現代詩で八月といえばこの詩だ。「八月の石にすがりて」。
八月の石にすがりて
さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。
わが運命を知りしのち、
たれかよくこの烈しき、
夏の陽光のなかに生きむ。
運命?さなり。
ああわれら自ら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり。
見よや、太陽はかしこに
わづかにおのれがためにこそ
深く、美しき木陰をつくれ。
われも亦、
雪原に倒れふし、飢えにかげりて
青みし狼の目を、
しばし夢みむ。
この詩と並んで名高い作品といえば、第一詩集の表題作「わがひとに与うる哀歌」だろう。
太陽は美しく輝き
あるいは 太陽の美しく輝くことを希い
手をかたくくみあわせ
しずかに私たちは歩いて行った
かく誘うものの何であろうとも
私たちの内の
誘わるる清らかさを私は信じる
無縁のひとはたとえ
鳥々は恒に変らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
いま私たちは聴く
私たちの意志の姿勢で
それらの無辺な広大の讃歌を
ああ わがひと
輝くこの日光の中に忍びこんでいる
音なき空虚を
歴然と見わくる目の発明の
何になろう
如かない 人気ない山に上がり
切に希われた太陽をして
殆ど死した湖の一面に遍照さするのに
伊東静雄はほとんど全作品が紹介に値する。感情と感覚の幅広さは驚くべきほどだ。また回を改めたい。