「いくら貰えるかもわからないんですか!知らなかった…」
「日雇いアルバイト以下の待遇でしょう。そんなことがまかり通っている業界は他にいろいろあるでしょうが、出版なんて一見インテリジェントなイメージをまとっているだけにたちが悪いものです。
デザイナー(レイアウター)の場合は「1色3000円、2色4000円、4色6000円です」(20年前の相場。いちばん安い例)と向こうから教えてくれる場合もあります(ぼくはデザイナーもしていました)。作業量と時間とギャラが比例するからでしょうか?
明治時代から平成まで日本の文筆家は、よほどビジネスライクなエージェントをつけてでもいないかぎり、どんぶり勘定の依頼で執筆するのが暗黙の了解になっています。依頼した編集者が行方をくらました場合ギャラの「付けだし」がなされず、そのまま踏み倒されてしまうこともあります。ぼくも最初の数年は100万に届く踏み倒しを複数の編集者から食らいました。
W監督の件も、雑誌掲載の上ではR氏によるロング・インタヴューという体裁を守ったからで、無許可出版は後出しジャンケンです。R氏は雑誌の経費による日本でのフォト・セッションも写真集のパートで使用しています。写真については編集部に本国で出版したいむね了解があったかもしれません。
ぼくは学生時代の最後の年に小出版社(これまで出版社と書いてきて、広義の意味では出版社でもいいのですが、正確には編集プロダクション、いわゆる「編プロ」です。社員6名バイト3名で編集部を持たないが雑誌出版コードを持っている版元から編集・制作を丸受けし、10名で月刊誌を5冊創っているという鬼のような職場でした)でアルバイトをし、単位不足と学費滞納でやむなく大学は除籍になったので、そのまま社員になりました。1年後、この職場は大手出版社に買い取られることが決まり、そのまま大手に入る人もいれば他社に移る人もいました。最後にぼくが編集長をやらされたのはセミ・アダルト誌で、組まされた女性社員はあまりに責任感がなく、160ページの雑誌のうち16ページほどを彼女に担当させても4ページが限度で、ぼくが穴を埋めました。彼女は隠れて昼間他の編プロにアルバイトしに行き、正式に勤めている会社に夜「出勤」してきて眠るために泊まっていたのです。
次回はフリーライターになったいきさつから始めましょう」