人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

真似句亭日乗(6)出版業界の回想5

「だからぼくはいわばひとり編集プロダクションみたいなものでした。ぼくが移らなかった大手の青年誌でも担当者との打ち合わせの後、1折(輪転機印刷では16ページ分)まるごと取材・レイアウト・ネームをぼくひとりで仕上げる、という依頼も数誌からありました。ライターというのは作家というよりも漫画家を連想してもらった方がいいかもしれません。
一方、ジャーナリスト系のライターはインタビューはできるが編集部にテープ起こししてもらえないと原稿が書けない人たちが多かった。ぼくは一応テープは回すが、固有名詞と話題のメモ書きだけでインタビューを仕上げることができました。その上レイアウトもするから、編集者とインタビューに行ってそのままぼくを一晩缶詰にすれば朝には取材記事1本入稿出来てしまう(写真は現像のセルフ・サービス店)。あまりに安易であきれた話ですが、時間かけようが手早くやろうが出来に大差はないのならどうでしょうか?」
「編集プロダクションというのは、これまで知りませんでした」
「ご存じないかたも多いかもしれませんね。映画で言えば配給網を持たない独立プロダクションのようなものです。
今の日本映画では1本ごとに制作委員会が立てられ、松竹・東宝東映などの配給網に乗りますが、それと同じシステムです。
かつての日本映画は五社と呼ばれる日活・松竹・東宝大映東映が全国の市町村に上映館を持ち、独自の撮影所を持ち、外国映画の配給も各社ごとに権利を持ち、スタッフも俳優も各映画会社の専属社員で、ごくまれに監督や俳優が他社に特別出向する程度でした。現在は専属監督を雇用している(しかも山田洋次1名)映画会社は松竹しかありません。
雑誌・書籍の場合は日販・東販・地方小といった書店への取り次ぎ会社があり、映画で配給に当るものが「雑誌コード」と呼ばれる出版・配本権です。これを取得するには空きを待たねばならず、権利の譲渡もたいへん高額です。雑誌コードを所有していても一定期間雑誌を発行しないと権利を失うので、雑誌コードだけ持っていて編集部を持たない出版社(戦後に乱立した紙問屋が前身の場合が多い)は制作を編集プロダクションに委託します。また、編集部が部分的に編プロに委託する場合もあります。編集・出版・配本システムについてはこの説明でおわかりいただけたでしょうか」