人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャズと脚の関係

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まず紹介します。上からパット・モラン「ジス・イズ・パット・モラン」1956、ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」1958、カーラ・ブレイ「ライヴ!」1981、いずれもピアニストの人気アルバムです(パット・モランとカーラ・ブレイは女性ピアニストです)。人気の一端はアルバム・ジャケットにもあります。また、カーラ・ブレイ以外の2枚はアメリカ本国ではまったく知られておらず、ソニー・クラークなどは本国では300枚の初回プレスですら売れ残ったのに、日本では10万枚を超える大ヒット・アルバムです。
パット・モランのアルバムも80年代に再評価(というか、初めて評価)され、日本向けにプレスされた輸入LP(ジャズ愛好家はCDは必要悪としか見なしていません)が好セールスをあげました。この、鍵盤に足をあげている不埒な女性がパット・モランさん本人かは判りませんが、ピアノの向こうにボーッと写っているのが2年後にビル・エヴァンズ・トリオの初代ベーシストになり、4年後にはヴィレッジ・ヴァンガードでの名作ライヴ2作を残して街路樹に車を大破させ急逝してしまう伝説の天才、スコット・ラファロその人です。内容的にも注目・再評価される要素はあったのです。
ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」はモダン・ジャズ黄金期を代表するアルバムとして、なぜか日本でだけ不動の評価・人気・セールスを誇ってきたロング・セラーです。もともと人気クラリネット・プレイヤー、バディ・デフランコのサイドマンとしてロス・アンジェルス中心に活動していましたが、L.A.のジャズ界の不況でニュー・ヨークに移りました。ハンプトン・ホーズクロード・ウィリアムソンなどの人気ピアニストもそうです。そしたらN.Y.のジャズ界はミュージシャン飽和状態、先輩格のエルモ・ホープなどは顔の広さを買われヘロインの売人で食いつないでいる、という惨状でした。クラークとホーズも安アパートをシェアして、ライヴの仕事はぜんぜんないが実力はあるのでアルバム録音の依頼はある、でも300枚プレスしても売れない、という状態でした。
ソニー・クラークの死は陰惨で、珍しくジャズ・クラブの仕事が入りましたが休憩中に楽屋でヘロインのオーバードーズで急死、店に迷惑なので遺体はこっそりアパートに移されたのち発見されたそうです。
カーラ・ブレイ?当時42歳です(笑)。