人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

真似句亭日乗(12)離婚事情回想1

「仕事でゲイ(男女とも)やフェミニズム論者(と反フェミニズム論者)のかたがたに取材しましたが、あんまり幸福な感じはしませんでしたね。どこか無理がある。おおらかさがない。それに本当は自分の主張していることを信じていないんじゃないか、という気がしました。架空の敵を想定しているような、世間一般の男女をあまりにステロタイプに決めつけているような。
ぼくにも性的偏見はあります。たとえば、柔らかな音色で優しい旋律をつぐむジャズマン-スタン・ゲッツやポール・デズモンド等が女性プレイヤーだったら詰まらないな、とかそれこそ詰まらない例を挙げてしまいましたが、性別と適性に関することはほとんど偏見ばかりです。ぼく自身が結婚して二女をもうけながら、自分のジェンダーに確信がもてないのです」
「妻には気の毒なことをしたと思います。躁鬱病の夫を間近で見て、結婚生活はもう不可能、娘ふたりの親権も自分が独占する、と2か月くらいかけて決断したのだと思います。話し合いは一度もありませんでした。保健所と警察の奨めで民事裁判はぼくのDV指定を前提として行われ、ぼくの別居先には呼び出し状が入れ違って、被告不在の裁判で敗訴になり、ぼくはDV防止条令の「接近禁止令」で刑事から足取りをマークされることになった。ぼくは置いてきていた結婚指輪をもらいに行って、最後に挨拶だけしたかった。マンションの前でどうやって受け取ろうか考えていた。覆面パトカーが来て、何の説明もせずぼくを連行して行き、留置場で2か月半、拘置所で1か月半をすごした。「女が最大の力を持つのは男を罰する時である」と三島由紀夫も書いています(「仮面の告白」)
それから満4年がすぎたのです。もしぼくに感受性と文章力があるとしたら、今はまだリハビリの段階。その意味でもブログをはじめた意義がありました」
「精神医学・発達心理学的にはぼくの発達障害(自閉症です。アスペルガー症候群)は社会不適合な人格障害(シゾイド型+強迫性)に発展すると共に躁鬱病を発症した、となるのですが、おっしゃる通りにぼくはステロタイプからもカテゴライスからも逸脱してきた。ただ、家庭を営んでいた時はぼくは女性のする役割の方が向いていたけれど、ライターを休業せざるを得なくなってから鬱が始まりました。どちらにも徹しられなかったのです」