人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

真似句亭日乗(13)離婚事情回想2

「警察はひどいものでした。「この半年間でご主人ともめたことは?3つは挙げてくださいよ」というような質問を妻は受け、口論があったことを3件挙げた。担当刑事はそれを3件の暴行に膨らませた告訴状を作成し、妻に署名・捺印させた。否認するとしたら人格証言しかない。裁判が長期化したあげく有罪判決となると罪状は重くなることが多く、拘置所生活も長引く。ぼくに就いた国選弁護士はまったくやる気がない。
妻が捏造を事実として公の場に出したなら、そのすべてを認めることが彼女への最後のはなむけになる、と思いました。
懲役3か月、執行猶予3年という単に印だけの判決を受け、刑務官の先導で裁判所を出る時、担当刑事2人が傍聴席から声をかけてきた。点数稼ぎだけのためにDV事件を捏造して、おれを刑事犯にしたやつら。
「どうもお世話になりました」
「もう川崎には来るなよ」
皮肉も通じないやつら。もちろん翌日には移転届けを取りにきた。それまでぼくの住民票は別れた妻子と同じところにあったと思い皮肉な面白さを感じました。
1度だけ肩をつかみ「もういい加減にしてくれ!」と額をコツンとやったことはある。精神的DVと言われたら返す言葉はありません。
郵政省民営化を前に、妻は朝早く夜遅く、ぼくは気管支炎をこじらせながら家事と育児を全部やっていましたから、妻の帰りが早いか遅いかはぼくの健康状態にとって死活問題でした。その数か月前にも妻の帰宅が遅い時期が続き、娘たちの夕食・入浴・寝かしつけを一手にして、気管支炎から肺炎を起こしたことがあったのです。
口論も妻からの連絡があてにならないことからでした。残業続きでとても大変なのはわかるし、ぼくの方が家事専業になったのを内心不服に思っているのも判る。でもきちんと帰りの見込み時間を連絡してくれないと「今日はママいつ帰ってくるの?」と娘たちを待たせるかどうかも変ってくる。遅くなるのも仕方ないから連絡だけはほしい。
そんな口論をDV指定の根拠にされたわけです。その年の県の新条令だと知ったのは釈放後。新条令には条令違犯が必要、と格好の餌食になった。市の法律相談で、この条令は家を出た妻子に夫がつきまとえないようにするためで、ぼくの場合自分の意志で別居しているから適用するのは拡大解釈ではないか、と教示されました。先に有罪あり。後のまつりです。