人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

三島由紀夫について(上)

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平凡ですが、頭が良すぎて気の毒だった人だと思っています。すべてにおいて自己の理想像をまっとうしようとしたら疲れちゃいますよ。村上春樹が三島には芸術家の感受性に対する特権意識がある、と批判していましたが、本当はそんなこともなかったと思う。西洋風のフィクションに徹底したのは立派だったと思います。精神医学では躁鬱病ナルシシズム型パーソナリティ障害の典型と目されていますが(ダリと共に)、自己には誠実だった人だと思っています。晩年にはあれほど批判していた太宰治について「おれも太宰と同じだ」と親しい批評家に洩らしていたといいます。これも痛ましい話だと思います。
映画「Mishima」を見た人には晩年の三島は正常な現実感覚を失ったように思えるとの感想を聞きますが、ぼくはやや異なった感想を(映画ではなく、三島に)持っています。「憂国」「英霊の声」「奔馬」にはっきり主張されているように、三島は現実の天皇制(具体的には昭和天皇)の辛辣な批判者でした。2.26事件を模倣する形で自分の死を演出したのは通常の感覚では狂気に違いありませんが、究極の天皇制批判はみずからの死をもって提示しなければならない、というのは一種の逆テロリズムで、独裁政治下では珍しくない発想です。焼身自殺、ハンガーストライキと同列のものです。三島にとっては当時の日本はそこまで腐敗したものに見えていた、ということです。
ですから死もまた、本人にとっては予定されたものでした。あれだけ聡明な人がそこまで予測しないとは考えられません。優秀なアジテイターはアジテイションの失敗も計算に入れておくものです。切腹も介添もあらかじめ決定事項、アジテイションの失敗も予測されたものでした。自分たちの主張に義がある、この国家にはもはや義はない、というのが2.26事件の自決軍人たちの論理でした。三島は忠実にそれを模倣したのだと思います。
(それでも最後のクーデターには現実を見失ったヒロイズムとナルシシズムを感じます)
おっしゃる通りだと思います。そこがナルシシズム型パーソナリティ障害たるゆえんです。文人のやることではない。だけれど三島には中世の日本にも先駆者がいます。日本浪漫派の代表的批評家で三島とも交友があった保田与重郎後鳥羽院」は戦時下の大学生のベストセラーでした。次回はそこから話を進めたいと思います。