人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

真似句亭日乗(16)離婚事情回想5

「まず妻が(おそらく計画的に)娘たちを連れて横浜のお兄さんの家に家出、2日後お兄さんとやってきて1か月間はウィークリー・マンションを借りた、手切れ金も出す、離婚してほしい。ぼくは娘たちを早く元の環境にもどしたかった。「こいつのことじゃなく、娘の心配ばかりしてるじゃないか!」と妻のお兄さんに難じられました。
別居後2週目に妻に離婚届の捺印し、お金を受け取りました。会話は「娘たちは元気?」「はい」くらいしかなかった。妻は民事訴訟の予告すらしなかった。それがどんな訴訟かも。
ポストはまったく見てなかったからある日突然多摩警察署の刑事がきて、届いていた裁判の通知書を見つけ、郵便局留めの判決書を取りに車に乗せられた。マンション前まできて判決書の入った封書を持った証拠写真まで撮られた。判決書は開封しなかった。刑事から一言「これで60日間は奥さんやお嬢さんに近づけないからな」
…だから、刑事の組んだシナリオに乗ってぼくをDV指定し、条令違犯で監獄のひと夏を過ごさせたのは妻がそうしたかったから。離婚はしたけど職はない・宿はないでこられちゃたまらないからDV指定で隔離できるならそうしたい、と考えたのでしょう。
妻にとっては…離婚を正当化するためにいまだ心は険しいままでしょう。
「周囲が知恵をつけたことはあり得ます(ちなみに妻の実家は公務員一家で、妻の父は税務署、母は郵便局、兄は公立高校社会科教師。結婚にはみんな結託して大反対でした)。妻を焚き付けた心当りは保育園で親しいシングル・マザーさんたちがいます。
もっと順序を踏んで、娘たちとぼくを引き裂くようなことにはならない離婚の仕方もあったでしょう。出所後に電話で娘たちの世話はどうしているのか、ぼくは娘たちに尽くしてきたじゃないか、と訊きました。妻は吐き捨てるように、
「シッターさんに12万も払ってるわよ!あなたは最低の父親でした」
と言いました。妻はあのような形で離婚した以上、ぼくを一切認められないのです。
ならきみは、という言葉は飲み込みました。不毛な言い合いはしたくない。
この春まで交際していた女性はぼくの離婚の経緯では別れた妻にたいへん批判的でした。「あなたが最低のお父さんだったかどうかは、大人になってからお嬢さんたちが決めることです」
どうでしょうか?ぼくは胸を張る自信がないのです」