人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

真似句亭日乗(18)離婚事情回想7

「長女の方はもう小学校3年生でしたから、つらかったでしょうね。父を棄てて母につくのを迫られたわけだし、いさかいの元になったのは父だ、と母の前では割りきってみせなければなりません。
保育園では泣いている年下の子を放っておけず、「パパとママは結婚する前はひとりで住んでたの?どうして?ひとりじゃさびしいよ」と驚き、七夕の短冊に「みんなのねがいごとがかないますように」と書くような子でした。
電話するのも年に数回もありません。もう娘たちの様子もわからないから図書カードくらいしかプレゼントを選べないし、バースディー・カードとクリスマス・プレゼント、年賀状とお年玉くらいでいいか、と思っています。向うから電話や年賀状は一切ありません。別れた父からとはいえ、お年玉のお礼くらい…とは思うのですが。
一応こちらが入院した時は知らせていましたが(それと、ぼくの父がもう長くないこと)今後は知らせなくていい、とのこと。「ぼくが死んだら?」それは知りたい。それじゃ福祉課か医療機関に頼んでおくよ。いつの日にか。-だから、悲しむ人がいない方がいいのです」
「電話では次女に、「パパは病気を治すためにひとりで暮らしているんだよ」と、ぼくの側の言い分として言っています。
ぼくは離婚に先だってパニック障害がひどかった。突然胸苦しくなって、動悸が通常の倍の速さ・強さになり、呼吸もまともにできなくなって10分と持たず横になって身動きできない。心臓だけが破裂しそうに拍動している。真剣に死の恐怖を感じる。もう駄目だと思う。死ねばもう苦しくなくなるな、とも思う。そして、30分~1時間後いきなり一瞬心臓が止まり、なにもなかったかのように平常に戻る。完全に心因性のものです。躁鬱の発症より3年前からパニック障害があった。そうとは思わず総合病院で心臓の検査を受けて器官的にはなにもなかった。この段階で精神科を薦めてくれる医師もいます。ぼくはついてなかった。
なぜか拘置所ではパニック障害は起こりませんでした。現実のほうが圧倒的だったからでしょう。出所してメンタル通院始めてもなかなかなおらない。
あ、治ったんだ、と気づいたのは一昨年の秋、次女と電話でたっぶり10分話した後でした。この頃まったくない。そして次女とのんびり話した。ぼくは泣く男ではないけれど、この時は涙が溢れました」