人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

真似句亭日乗(19)離婚事情回想8

「妻はぼくの躁鬱とパニック発作による奇行を見て匙を投げたのでしょう。具体的には浪費(数十万の記憶にないネット通販)や多弁、多動、自暴自棄的な言動(パニック発作の予期不安からくる万引未遂)等がありました。妻に指示されて当時の住居の近隣のメンタル・クリニックで一度受診しましたが、まったくの無駄足でした。「お子さんの世話ってそんなにたいへんですか?」のひとことは忘れられません。診断名など当然告げられず、処方薬は胸焼けや吐き気と無気力感を誘うだけでした(抗不安薬の服用初期にはよくあることですがその説明もありませんでした)。ぼくが追い詰められていたのと同様に、妻も追い詰められていたのだと思います。-獄中で、妻以外に告訴者はいないと気づき、次の週末には告訴取り下げがあるかもしれない、と何度も淡い夢を見ました」
「警察なんてシンディケートの一種ですから本来市民の味方でもなんでもありません。国家の味方であるだけです。民間警備会社はビジネスですからビジネス上の使命には忠実です。国家というといかにも大仰ですが、ぼくはまともに国家によって罪人にされ、国家によって保護されています。罪人にされるにせよ保護されるにせよ、国家の前では個人のプライヴァシーは精神から肉体に至るまでありません。でもそれは精神の自由とは別です。身ぐるみ剥がされても残るのはそれだけだと思います」
「独居房と雑居房、どちらがまだしもか?
雑居も独居も入ってみないとわからないところがありますよ。留置場の場合は決まっていなくて、看守室から一望できるように2~4人入る部屋とひとり用の部屋があり、ひとり部屋とはいえ拘置所の独居とは雰囲気も待遇もぜんぜん違います。単に部屋が小さいからひとり、というだけです。
(実は最初の数日は2~4人部屋だったのですが、看守に向かって怒鳴ったり唾を吐いたり、プラスチックの弁当箱-留置場の食事は3食仕出し弁当です-を鉄格子に投げつけて割ったりしたのでひとり部屋に移されたのです)。
ぼくは自分の雑居では苛められていましたから、運動時間には中庭で他の雑居の人たちから慰められていました。「ひどいやつらだな。刑務官に言ってこっちに移ってこいよ。おれたちは仲良くやってるぜ」
経験者としては独居だけど、いきなり拘置所の独居だったらキツかったと思います。」