尾形亀之助(1900-1942)は宮城県生まれの詩人。幼児期から喘息の病身で、晩年はほぼ詩作から遠ざかり、拒食と喘息による全身衰弱のために孤独死した。晩年数年間を除いて生涯無職。自費出版の詩集が3冊。流派としてはダダイズムの前衛詩人に属する。元祖「引きこもり」詩人とも呼ばれる。以下引用します。
「彼の居ない部屋」
部屋には洋服がかかっていた
右肩をさげて
ぼたんをはずして
壁によりかかっていた
それは
行列の中の一人のようなさびしさがあった
そして
壁の中にとけこんでゆきそうな不安が隠れていた
私は いつも
彼のかけている椅子に座ってお化けにとりまかれた
(第一詩集「色ガラスの街」1925年より)
「家」
私は菊を一株買って庭へ植えた
人が来て
「つまらない……」と言いそうなので
いそいで植えた
今日もしみじみ十一月が晴れている
「白に就いて」
松林の中には魚の骨が落ちている
(私はそれを三度も見たことがある)
「雨日」
午後にもなると毎日のように雨が降る
今日も昼もずいぶんながかった
なんということもなく泣きたくさえなっていた
夕暮れ
雨の降る中にいくつも花火があがる
(第二詩集「雨になる朝」1929年より)
「秋冷」
寝床は敷いたまま雨戸も一日中一枚しか開けずにいるような日がまた何時からとなくつづいて、紙屑やパンの散らばった暗い部屋に、めったなことに私は顔も洗わずにいるのだった。
なんというわけでもなく痛くなってくる頭や、鋏で髭を一本ずつつむことや、火鉢の中を二時間もかかって一つ一つごみを拾い取っているときなみじめな気持に、夏の終りを降りつづいた雨があがると庭も風もよそよそしい姿になっていた。私は、よく晴れて清水のたまりのように澄んだ空を厠の窓に見て朝の小便をするのがつらくなった。
(第三詩集「障子のある家」1930年より)
-ちなみに亀之助は結婚2回離婚2回、子供は4男2女。とてもそうは思えない。不思議な人だったろう。たぶん身近な人にも。