人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

西洋医学・東洋医学について

イメージ 1

的確なご質問ありがとうございます。現代の精神医学では身体疾患同様に脳の機能障害を原因と見るのではなく、精神疾患は魂の疾患としても捉えられるようになったのか、というのがご質問でしたね。
いや、確かに人間を自然の一部ではなく一種の機関の集合として解剖学に研究していたのはかつての法医学も現在の西洋医学も根幹は同じです。それと魂の問題は矛盾でも平行線でもない、という捉え方と言えば解りやすいでしょうか。すべての動物のなかで神は人間だけに魂を与えられた、という人間の定義は旧約聖書までさかのぼれることです。犯罪者や狂人を魂の喪失した人間、もはや人間ではなくなった人間と見なすのも同じ根拠からです。
では魂の問題はどこまで正確に定義できるのか。とんでもない拡大解釈にいたることはないか。例えばつい80年前なら「健全な精神は健全な肉体に宿る」という格言すら、ひとつ間違えればナチス・ドイツの反シオニズム(ユダヤ思想を精神的汚染と見なす)、アーリア人純血思想に直結してしまいかねない。
そこで、現代の西洋医学、特に精神医学は魂についても肉体についてもイデオロギー的な価値観は持ち込まないのが前提になっています。科学はイデオロギーについて中立でなければならない、という考え方です。古典的な東洋医学が精神や肉体をイデオロギー的に向上させようとするのと方法的に逆になっているのはそうした立脚点の違いがあるからです。
また、ぼくは自分が受けてきた治療はぼくにとって西洋医学とも東洋医学とも分けられないもので、それはぼくに西洋医学東洋医学を対立させる考え方がなかったからだと思っています。ぼくは患者でもあればひとりの人間でもあり、医師と患者は二人三脚でなければ治療を受ける意味はなく、人間としては対等で、むしろ専門家として試されているのは医師の側だという考え方です。
西洋医学東洋医学以前に重要なのはそこで、これは患者としての自己責任も引き受けることです。また、ぼくは選択するならオカルト的要素(それが根拠や実例に基づくものであっても)の少ない方を選びます。これは近代クリスチャン(ぼくはプロテスタント以上にピューリタン教育を受けましたから)としての信条です。
結局どれもオカルトと大差ないじゃないか、といえばその通りでしょうね。それも患者個々の問題です。