人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

詩人・左川ちか

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左川ちか(本名・川崎愛、1911-1936)は北海道生まれの詩人。高等女学校卒業後東京の編集者の兄を頼って上京。出版社勤めの傍ら新進シュールレアリスム詩人として夭逝まで80篇におよぶ作品を残す。19歳のデビュー作から実力は明らかだった。『昆虫』を引く。

昆虫が電流のような速度で繁殖した
地殻の腫物をなめつくした。

美麗な衣裳を裏返して、都会の夜は女のように眠った。

私はいま殻を乾かす。
鱗のような皮膚は金属のように冷たいのである。

顏半面を塗りつぶしたこの秘密をたれもしってはいないのだ。

夜は、盗まれた表情を自由に回転さす痣のある女を有頂天にする。

日常言語による意味伝達ではなく全編を暗喩で統一した、言葉の自律性による詩であることに注意。戦後詩が昭和30年頃に達成することを昭和5年に到達している。これは驚くべきことで、同時代の詩人にも数人しかいない。
「左川ちか詩集」は没後1年に、一時恋愛関係にあった作家・伊藤整(既婚)編纂で刊行された。次の詩は伊藤との破局によって書かれたものらしい。『緑』。

朝のバルコンから 波のようにおしよせ
そこらじゅうにあふれてしまう
私は山のみちで溺れそうになり
息がつまっていく度もまえのめりになるのを支える
視力のなかの街は夢がまわるように開いたり閉じたりする
それらをめぐって彼らはおそろしい勢いで崩れかかる
私は人に捨てられた

こんな詩もある。『毎年土をかぶらせてね』。

ものうげに跫音もたてず
いけがきの忍冬にすがりつき
道ばたにうずくまってしまう
おいぼれの冬よ
おまえの頭髪はかわいて
その上をあるいた人も
それらの人の思い出も死んでしまった。

紹介の最後は、晩年の『言葉』でしみじみ終えたい。

母は歌うように話した
その昔話はいまでも私たちの胸のうえの氷を溶かす
小さな音をたてて燃えている冬の下方で 海は膨れ上がり 黄金の夢を打ちならし
夥しい独りごとを沈める
落葉に似た零落と虚偽がまもなく道を塞ぐことだろう
昨日はもうない 人はただ疲れている
貶められ 歪められた風が遠くで雪をかわかす そのように此所では
裏切られた言葉のみがはてしなく安逸をむさぼり
最後の見知らぬ時刻を待っている