人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

伊良子清白『漂泊』

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伊良子清白(本名暉造、1877-1946)は鳥取県生まれの詩人。京都で医学を学び、学生時代から詩誌「文庫」の中心的詩人となる。東京で医療官務のかたわら詩作、明治39年(1906年)処女詩集「孔雀船」を刊行。発表作品160篇から18篇を選び抜いた、清白唯一の詩集となる。
以後没年まで清白は官務で各地を転々とし、詩作を離れたと思われていたが、近年の資料発掘や研究により昭和4年(1929年)の「日本詩人全集」の伊良子清白編以外にも最晩年まで詩作を続けていたことが判明。評伝、全集の刊行と共にますますその評価を高めた。
「孔雀船」の巻頭作『漂泊』はこの詩集の代表作であると共に後世の詩人・詩論家、日夏耿之助から「世界に誇るに足る卓れた浪漫芸術」と最大の賛辞を受けた一篇。これほど繊細な文語自由詩は明治期には清白を措いていない。

『漂泊』

蓆戸(むしろど)に
秋風吹いて
河添(かわぞえ)の
旅籠屋(はたごや)さびし

哀れなる旅の男は
夕暮の
空を眺めて
いと低く歌いはじめぬ

亡母(なきはは)は
処女(おとめ)と成りて
白き額(ぬか)月に現われ

亡父(なきちち)は
童子(わらわ)と成りて
円(まろ)き肩銀河を渡る

柳洩る
夜の河白く
河越えて
煙の小野に
かすかなる笛の音ありて
旅人の胸に触れたり

故郷(ふるさと)の
谷間の歌は
続きつつ断えつつ哀し
大空の反響の音と
地の底のうめきの声と
交りて調は深し

旅人に
母はやどりぬ
若人に
父は降れり
小野の笛煙の中に
かすかなる節は残れり

旅人は
歌い続けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかえり
微笑みて歌いつつあり
(詩集「孔雀船」1906年)

日夏の指摘通り清白の作風は典型的なロマン主義で、詩想と文体・喩法が調和して無理がなく、響きが豊かだ。
「孔雀船」に匹敵する明治末の文語自由詩の成果は上田敏訳詩集「海潮音」1905年、薄田泣菫「白羊宮」1906年蒲原有明有明集」1908年、新人・北原白秋三木露風の「邪宗門」「廃園」1909年だが、たった18篇の小冊子が随一の完成度を誇っていたのだ。
清白は生涯現役医師で、患者宅から迎えの自転車に同乗した途上で転落し脳溢血から急逝した。敗戦の翌年、享年70歳。