人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

中原中也『また来ん春……』他

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『また来ん春……』

また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といい
鳥を見せても猫(にゃあ)だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
この世の光のただ中に
立って眺めていたっけが……
(詩集「在りし日の歌」)

これは『春日狂想』同様、長男・文也の死から書かれた詩。現実の情景が下地なので、その面では読者を混乱させることはない。だが中也にははっきり幻想に踏み込んだ作品もある。コボルト(幼児の妖精)が出てくる『この小児』などがそれだ。

コボルト空に行交えば、
野に
蒼白の
この小児。

黒雲空にすぢ引けば、
この小児
搾る涙は
銀の液……

-地球が二つに割れればいい、
-そして片方は洋行すればいい、
-すれば私はもう片方に腰掛けて
-青空をばかり……

花崗の厳(いわや)や
浜の空
み寺の屋根や
海の果て……
(「在りし日の歌」より)

リアリズムとファンタジーの両立に成功した作品もある。『湖上』を引こう。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮かべて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。

沖に出たらば暗いでしょう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
親いものに聞こえましょう、
--あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでしょう。

あなたはなおも、語るでしょう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでしょう、
--けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮かべて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
(「在りし日の歌」より)

現実の光景に置き換えることもできる。だが視点はほとんど語り手から離れて宙から情景を眺めている。
たまたま晩年の詩ばかり選んでいるが、中也の特質は初期から変わらない。そこに魅力と謎がある。