岩田宏(1932-・北海道生まれ)は本名の小笠原豊樹では高名な翻訳家で、ロシア文学とアメリカのハードボイルド・ミステリという一見相反してその実相反する分野に定評がある。原著よりいい、と言われるくらい美しく流麗な訳文で、ぼくも中学生の頃は図書館から借りてきた小笠原豊樹の訳書から、気に入った箇所をノートに筆写したりしていた(おかげで作文の腕前も上達した)。
では詩人・岩田宏はロシア文学とハードボイルド・ミステリとどう関係があるかというと、見事なまでに関係ないのだった。幸い手元には30年前に下北沢の白樺書院で買った(2000円)1966年刊の全詩集(720ページ!以後この詩人は散文に転じた)がある。親しみやすい一篇を挙げよう。
『動物の受難』
あおぞらのふかいところに
きらきらひかるヒコーキ一機
するとサイレンがウウウウウウ
人はあわててけものをころす
けものにころされないうちに
なさけぶかく用心ぶかく
ちょうど十八年前のはなし
熊がおやつをたべて死ぬ
おやつのなかには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ
-さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった
ライオンが朝ごはんで死ぬ
朝ごはんには硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ
-さよなら よごれた水と藁束
たべて 甘えて とじこめられて
それがわたしのくらしだった
象はなんにもたべなかった
三十日 四十日
はらぺこで死ぬ
-さよなら よごれた水と藁束…
虎は晩めしをたべて死ぬ
晩めしにも硝酸ストリキニーネ
満腹して死ぬ
-さよなら よごれた水と…
ニシキヘビはお夜食で死ぬ
お夜食には硝酸ストリキニーネ
まんぷくして死ぬ
-さよなら よごれた…
ちょうど十八年前のはなし
なさけぶかく用心ぶかく
けものにころされないうちに
人はあわててけものをころす
するとサイレンがウウウウウウ
きらきらひかるヒコーキ一機
あおぞらのふかいところに
(詩集「頭脳の戦争」1962より)
全詩集のあとがきによると岩田宏の詩作は14歳から始まり、初期は萩原恭次郎の「死刑宣告」を模倣していたという。人は見かけによらないものだ。