人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

どす黒い恋人

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(場所・階段教室。生徒の入りは三割弱。設置を学生に頼んで、馴れぬパソコンと格闘中)
…どうもプロジェクターの調子がよくないが、みなさん見えますか?今回は西洋の近代文化における「ファム・ファタール」とはなにかを(黒板にFemme Fataleと大書きする)解説したいと思います。
ファム・ファタール。これはフランス語ですね。一言で言えば妖婦(と書く)という意味です。悪女。各国共通で、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというヤク中やSMや精神錯乱、死などをテーマにしたアメリカの60年代ロックバンドにもファム・ファタールという曲がありました。邦題は「宿命の女」、ゲストで歌っているのはフェリーニの「甘い生活」でデビューしたドイツ系美人モデルのニコさんです。ちょっと聞いてみましょうか?
いやあ、いつ聞いてもいいなあ。サビのところでバック・コーラスが「シーズ・ア・フェイム・フェイタル~」と歌ってますね。英語読みではそうなるんでしょうか?その場合Fameとのダブル・ミーニングで虚栄とか悪名高いというニュアンスも入ってくるのかな。Fatal(運命)は英仏共通でしょう。とにかく狙った男をとことん虜にし、死ぬまで搾り取るというアッパレなタイプの女性像です。
おそらくこれは、真っ先に王政の崩壊したフランスで貴族社会が陥ったデカダンスに発生の源があるんじゃないか。「危険な関係」「マノン・レスコー」「カルメン」と並べてみると元祖が一番過激なのは皮肉ですが、それだけ定番化したとも言えますし、マゾヒズムにしても相手あっての関係ですからあながち表面だけ見てもわかりません。ただ、体制の崩壊から再編の間の不安な転換期に変態的な男女関係が副産物のように注目される。
映画では1930年前後のルイス・ブルックス主演「パンドラの箱」、マレーネ・ディートリッヒ主演の「嘆きの天使」、この2本のドイツ映画がアメリカやフランスの「フィルム・ノワール」(暗黒映画)に与えた影響は大きく、日本でもようやく60年代にファム・ファタール映画が増村保造中平康とともに束の間、注目を集めました。吉行淳之介原作の「砂の上の植物群」、渥見マリの「しびれくらげ」等の「軟体動物シリーズ」など、今見ても神経に障る不快感があります。
あれ、もう時間?では次回「もっとどす黒い恋人」をお楽しみに。