人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Hさんからの年賀状

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2009年は酷い年だった。どのくらい酷いかというと、2010年や2011年と同じくらい酷い。まず入院回数と期間で、その酷さがわかる。

●第1回入院・2008年12月16日~2009年1月13日
●第2回入院・2009年5月26日~8月11日
●第3回入院・2010年3月2日~5月20日
●第4回入院・2010年12月1日~2011年3月9日
●第5回入院・2011年8月8日~8月22日

列挙してみてほとほと呆れる。毎週クリニックと訪問看護の問診で生活相談や内科診断まで受け、それでも悪化すると入院になる。だけど通院しているからこの程度なんだよ、と主治医がふと洩らしたひと言に、ぼくも同意する。
ぼくの身の上では自殺や急激な悪化も十分にあり得た。だからぼくはここまで持ちこたえていることに謙虚な誇りを持っていい。

入院話はこれまでも書いたし、これからも書くだろう。2年間に5回、約8ヶ月の入院!しかもヴァリエーション豊富で、アル中の学習入院から瀕死の全身衰弱入院まであるのだ。
でも今回は入院話じゃない。掲載した一昨年の年賀状を送ってくれた5歳上の、ぼくの敬愛する友人Hさんの話だ。先の入院年表でいうと第2回と第3回の間、2009年の秋に知己を得てすぐ親しくなった。
2010年の年賀状に忌野清志郎のイラスト(印刷ではない!)を描いてあるのはその前年の夏にマイケル・ジャクソンと前後して清志郎が亡くなったからだ。Hさんもリンパ腺癌との闘病生活が長く、2年前に声帯を切除していた。
Hさんとぼくを引き合わせてくれたのは先に知り合いになった駅前鍵屋のTさんで、やはり肝臓癌のステージ4だった。(この人とは友人と言えないところがある。任侠出身で表裏がないのはいいのだが、青年時代の殺人・服役経験やアメリカ放浪から自分を特別な人間と思い、他人を品定めしていた。いよいよ余命がわかった時「充実した人生だからいつ死んでもいいよ」と普段言っていたTさんは見苦しかった。第4回入院の時にやっと外出が許され、借りていた7,000円ほどのお金を返しに行くと癌の進行を怒鳴るように説明し、金はいいから二度と顔を見せるな、と言われた。退院するともう店はなかった。Tさんも故人だろう)。
Hさんは昨年1月に永眠した。今は天国にいる。ぼくは別のところに行くだろう。