さっき(1月3日)目が覚めて、昨日に続いてアニメ「バクマン。」の3時間一挙再放送あるなあ、と見始める。ついこないだまでの放映分とはいえ、こんなに細かく覚えているものか。でも今朝なんとなく見ていた夢は雰囲気しか思い出せない。どんな夢か?すぐに思い出した。
ビルの谷間に翼手竜が飛ぶ。これが初夢か?この光景はレコード・ジャケットで知っている。あれだ。
アルバムを引っ張り出してくる。バンド名はクォーターマスQuatermass(1970)、編成はオルガン、ベース、ドラムスの名盤で、スター・アクトではないからメンバーはスタジオ仕事が多い。身近では井上陽水のアルバム「氷の世界」の約半分のロンドン録音がクォーターマスだ。
だがぼくはいったいどんな気持を投影してQuatermassのアルバム・ジャケットを夢に見たのだろうか。そびえ立つビルの谷間か、乱舞するプテラノドンか、吹いているには違いない風か。しかし…しょぼい初夢もあったものだ。
と、ここまでが導入部。
「飛ぶ夢をしばらく見ない」1985は脚本・小説家山田太一(1934-)の異色の長篇小説で、「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「異人たちとの夏」などの代表作よりは知名度は一段落ちる。同作を監督し(1990)これが遺作となった須川栄三(1930-1998)は「東宝ヌーヴェル・ヴァーグ」の一角として岡本喜八と並ぶ往年の鬼才だが(仲代達也主演「野獣死すべし」1959は映倫から反社会性の指摘と改竄命令を受けた)、ぼくは運悪く当時の彼女とデートで見てしまった。ああ、ロケ場所はその頃根こそぎつくりかえられていた新宿南口一帯で、そのはずれにぼくのオフィスがあった。泌尿器科や干し肉を吊るした屋台は次第に姿を消しつつあった。電光掲示板が「21世紀まであと3426日」と勝手にカウントダウンする。正確には2001年だろ、と突っ込んでも虚しい。
お話は、設定だけならネタバレにならないだろう。入院中カーテンごしの会話で中年男と女に恋情が芽生える(金子光晴『洗面器』を交互に暗誦したりする)。緊急手術で運び出される女は実は老婆で、男は愕然とする。やがて退院した男の前に現れた女は初老で美しく、会うたびに女は若返ってゆく…と、近作のアメリカ映画「ベンジャミン・バトン」と話は同じだ。最後は芦田愛菜ちゃんくらいになる。変な映画だった。