北川冬彦(1900-1990・滋賀県生れ)は満州育ちの詩人・映画批評家。大正13年、大連で三好達治・安西冬衛らと同人誌「亜」を発刊。次いで「詩と詩論」に参加後、レアリスムの再検討を期して「詩・現実」を創刊。最盛期の評価と反して、俳句の山口誓子とともに現在は忘れられた大家となりつつある。
『体温表』 北川 冬彦
鼻血を出している
『爛れた月』 北川 冬彦
魚
軍艦
鉄の管
赤黒い丘
水平線には毛細管が蚯蚓膨れしていた
『花の中の花』 北川 冬彦
岩壁の上で草花が乱れ始めた。その中の一輪。港市が次第に縮図する。ついに緑の斑点。
ああ。離別。
『薄暮』 北川 冬彦
煙突の矢鱈に多い街
縞馬のような扉の奥には
髪の汚れた少女が三人 ストーブを囲んでいた
『ラッシュ・アワー』 北川 冬彦
改札口で
指が 切符と一緒に切られた
『爬虫類』 北川 冬彦
爬虫類は、壊れた乳母車に豆と石鹸とタオルを載せて、街の風呂から這ってかえって来た。
(以上第二詩集「検温器と花」1926より)
北川の絶頂をなす第三詩集「戦争」は当時最大の影響力を持つ小説家・横光利一が序文、脅威を感じた萩原朔太郎が長篇詩論「詩の原理」の中で集中の話題作『馬』を徹底批判したことでも記憶される。
『馬』 北川 冬彦
軍港を内臓している。
『大軍叱咤』 北川 冬彦
将軍の股は延びた、軍刀のように。
毛むくじゃらの脚首には、花のような支那の売婬婦がぶら下がっている。
黄塵に汚れた機密費。
『剃刀』 北川 冬彦
西洋剃刀の刃は透明な飴棒である。舐めて見ると、瞬間、唇は稲妻のように剃り落とされた。これは素敵な清涼剤だ。これは素敵な清涼剤だ。
『戦争』 北川 冬彦
義眼の中にダイアモンドを入れて貰ったとて、何になろう。苔の生えた肋骨に勲章を懸けたとて、それが何になろう。
腸詰をぶら下げた巨大な頭を粉砕しなければならぬ。腸詰をぶら下げた巨大な頭は粉砕しなければならぬ。
その骨灰を掌の上でタンポポのように吹き飛ばすのは、いつの日であろう。
(以上詩集「戦争」1929より)
着想は悪くないが、文体は古びてしまっている。北川は文学史上ではただ一冊の短編集「檸檬」1931を残し夭逝した梶井基次郎の文学的盟友として、三好達治とともに名を残すだろう。