人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高村光太郎『原・道程』( 後編)

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(まだ続く)
そして僕はもう頼る手が無くなった/無意識に頼っていた手が無くなった/ただ此の宇宙に充ちみちている父を信じて/自分の全身をなげうつのだ/僕は初め一歩も歩けない事を経験した/かなり長い間/冷たい油の汗を流しながら/一つところに立ちつくしていた/僕は心を集めて父の胸にふれた/すると/僕の足はひとりでに動き出した/不思議に僕は或る自憑の境を得た/僕はどう行こうとも思わない/どの道をとろうとも思わない/僕の前には広漠とした岩畳な一面の風景が広がっている/その間に花が咲き水が流れている/石があり絶壁がある/それがみないきいきとしている/僕はただあの不思議な自憑の催促のままに歩いてゆく/しかし四方は気味の悪い程静かだ/恐ろしい世界の果へ行ってしまうのかと思う時もある/寂しさはつんぼのように苦しいものだ/僕は其の時又父にいのる/父は其の風景の間に僅かながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる/同属を喜ぶ人間の性に僕は奮い立つ/声をあげて祝福を伝える/そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ/僕の眼が開けるに従って/四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す/生育のいい草の陰に小さい人間のうじゃうじゃ這いまわって居るのもみえる/彼等も僕も/大きな人類というものの一部分だ/しかし人類は無駄なものを棄て腐らせても惜しまない/人間は鮭の卵だ/千万人の中で百人も残れば/人類は永遠に絶えやしない/棄て腐らすのを見越して/自然は人類の為め人間を沢山つくるのだ/腐るものは腐れ/自然に背いたものはみな腐る/僕は今のところ彼等にかまっていられない/もっと此の風景に養われ育まれて/自分を自分らしく伸ばさねばならぬ/子供は父のいつくしみに報いたい気を燃やしているのだ/ああ/人類の道程は遠い/そしてその大道はない/自然の子供等が全身の力で拓いて行かなければならないのだ/歩け、歩け/どんなものが出て来ても乗り越して歩け/この光り輝く風景の中に踏み込んでゆけ/僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/ああ、父よ/僕を一人立ちにした広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ/常に父の気魄を僕に充たせよ/この遠い道程の為め
(1914/大正3年2月9日執筆・「美の廃墟」3月号)

10月の詩集では最後の8行だけ残し、末尾1行反復、為をために直した。これが原型です。