人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ・バター

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子どもの頃はおこづかいもなく家に菓子もないと、おやつに食べたのはたいがいピーナッツ・バターを塗った食パンだった(マヨネーズの時もあった)。これを堂々と「サンドイッチ」と言ってもいいと知ったのは、日本人による初のエルヴィス論「ぼくはプレスリーが大好き」(片岡義男・1970)でプレスリーの発言のひとつをめぐる論考の一章からだった。

Q・あなたの好きな料理はなんですか?
A・ピーナッツ・バター・サンドイッチとポーク・グレイヴィです。

この質問は定番みたいなものだが、エルヴィスは決して回答を変えなかったという。片岡氏の論考はこのQ&Aだけをまるまる一章を費やして考察したもので、この名著のなかでも圧巻なのだが、簡単に考察の劈頭から要約する。
ポーク・グレイヴィはその名の通り。日本なら豚汁、肉じゃがといったところか。そしてピーナッツ・バター・サンドイッチは説明するまでもない。
エルヴィスの家は貧困家庭だったが家庭の空気は明るく、エルヴィスは特に母親孝行だった。ポーク・グレイヴィはいわば「おふくろの味」となる。
他方、ピーナッツ・バター・サンドイッチは料理とも言えないもので、幼児の頃から常に働きに出ている両親を待ちながら空腹を満たすための、いわば家庭環境からやむを得なかった孤独の表れということになるだろう。だからエルヴィスにとってはピーナッツ・バター・サンドイッチは好物を尋ねられた時はすぐに挙がる「料理」で、それはポーク・グレイヴィと常に対になるものだった。

と、だいたいこのあたりから始まって更に分析は広く、深くなるのだが、最後に読んだのは20年近く前なので残念だ。ついでに触れると片岡義男の「ぼくはプレスリーが大好き」と「10セントの意識革命」はアメリカ50年代~70年代前半のカウンター・カルチャーをマス・カルチャー側からの視点で捉えることに成功した稀有な業績で、これは日系ハワイ人家系の出身である片岡氏ならではかもしれない。

本題。実はぼくはパンはあまり好きではなくなっていた。一人暮らしになって食パンを買ってきても、食べきらない内にカビさせてしまう。それが最近では8枚切りをおやつなら2枚、食事なら4枚いただく。
入獄やたび重なる入院で食パンはしみじみ嬉しく食べた。またピーナッツ・バター・サンドイッチが食べられる嬉しさ。だからだ。