人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジョン・レノン全アルバム(1)

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ザ・ビートルズの正式な解散声明は70年4月だが、直後に発表されたアルバム「レット・イット・ビー」は投げ出してあった未完成セッションで、納得のいく傑作を出して解散だ、と団結して本当に傑作を作ったのが解散前に発売された「アビー・ロード」だった。
「レット・イット・ビー」発売は「ビートルズ復活!」を記録したレコーディング風景のドキュメンタリーが撮影されていたからで、だれが見ても末期症状だったが製作した以上発表してモトをとらねばならない。そこで解散を先伸ばししてやりたくもないアルバム制作に取り組むのだが、メンバー4人の生涯でも畢生の名曲・名演・名唱が揃ってしまったのが「アビー・ロード」という花道だった。
そこで適当にスケジュールを消化しながらメンバーたちは解散後の準備を固め始める。ポールのソロ・アルバム第1作がビートルズ解散声明の直後に「レット・イット・ビー」と同時発売になり、ジョージのソロ・アルバム第1作はLP3枚組の大作で、リンゴもカントリーのスタンダード歌手として華々しいデビューが決まっていた。

いちばん出たとこ勝負だったのはジョンだったかもしれない。ここ数回ジョンの履歴をためつすがめつ検討したが、集中して活動的になる期間と散漫で沈鬱になる時期が周期的にあり、しかも見苦しいほど落差が激しい。躁鬱特有の生活トラブル-などと言うと失礼だが、この一文の筆者も躁鬱病精神障害者であって、真剣に考えてしまう。おそらくジョンはビートルズ解散直後には十分に休むべきだった。無理に年一作のアルバム・リリースを6年間続けたのはかえってよくない結果を招いた。だが他人の意見になど耳を貸さず、やりたいようにやるのがジョン・レノンなのだし、躁鬱患者というものなのだ。

ジョンにはビートルズ解散前に夫人とのドキュメンタリー・アルバム3枚('68~'69)があり、即席バンドによる「平和の祈りをこめて~ライヴ・ピース・イン・トロント」'69(メンバーはエリック・クラプトンg、クラウス・ヴアマンb、アラン・ホワイトds)がある。だが通常ジョンのソロ第1作は「ジョンの魂」'John Lennon/Plastic Ono Band'('70.12)とされる。これは「ヨーコの心」'Yoko Ono/Plastic Ono Band'('70.12)とジャケット表裏まで対になるアルバムだった。