人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋新吉詩集「戯言集」(3)

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高橋新吉は精神分裂症(現在の統合失調症候群)と診断されている。きっかけは父の自殺によるショック、激しい自責の念からくる幻覚・妄想・錯乱だったという。
それにしても四方板壁・二畳に3年間監禁(事実上慢性患者への治療は監禁以外にない)…これを耐え抜いたのは、詩人としての執念と言うしかない。

1928年に「高橋新吉詩集」、29年に父の自殺、3年間の入院生活、34年に詩集「戯言集」(30歳の誕生日は隔離室で迎えている)。この5年間は最大の危機だったろう。
高橋は社会復帰した。市民としても詩人としても。それは治療が奏効して社会的適応力を回復した、ということにはなるが、では狂気はどこへ行ってしまったのか?

その前に、現代詩史のなかで忘れられがちな負の一面、凡庸な一面を一瞥しておきたい。

先に高橋~中原のデビュー当時の主な詩の潮流を挙げた。
しかし明治末から没年まで、いわゆる「詩檀」のボスは川路柳虹(1888-1958)で、一応日本で最初の口語自由詩集「路傍の花」1910(明治43年)で記録される。作品は読むに耐えない(おそらく生前から明白だったろう)。
こうした役割の人はどの世界の、いつの世にもいる。重用されて出世した人もいれば潰された人もいる(高村も萩原も潰されかけたが実力ではじき返した)。そして死がすべてを帳消しにした。

『戯言集』

12

他人の考えを私はどう変革しようにも
私には不可能な事だ
只他人の行為の暴慢に対して防御し こちらも又行為で以て考えを現わす事の出来る丈である

13

君は感謝して好い事と 感謝して悪い事を区別しなければならない
君が神に感謝するなら 此の世の何人にも感謝するにあたらないのだ

14

たった三十ぺんしか 私はまだ夏を経験していない
此れからあと 何べん夏が経験される事か
それも不安だ

15

米をといだり お菜を煮たりする事は 私には凡ゆる最新のスポーツよりも楽しく光栄に充ちた労働のように思う
口を磨く事すら許されていない私には 此れらの事も言うに及ばず 特定の人の手に委ねられていて 古新聞に包んで持って来るめしとさいを 盲目か感情を持たない白痴かの如くに食うより外に術もないのだ
(以下次回へ)