人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋新吉詩集「戯言集」(7)

イメージ 1

イメージ 2

今回の前書き。
「もし犯罪や狂気が社会的適応性の不全であるならば、社会的適応性に問題はない犯罪や狂気は存在しないはずでしょう。しかし現実にはそれはある、と想像できます。家族愛を始めあらゆる愛、弱者へのいたわり、相互扶助、郷愁、努力・友情・勝利、動物や自然と触れあう安らぎ、優しさ-それらあらゆる自然法=普遍的な価値とされるものを否定し、無化する思考そのものが社会的適応性の不全です。それは疑えないものなのか?それほど世界は普遍的価値観から揺るぎもしないものなのか?それを疑うのがダダの立脚点ならば、ダダは価値観としては永遠にゼロ、または反社会的なのか?また高橋の詩にも愚痴や感傷があるが、それは読者や社会への妥協なのか?それとも一種のアリバイ、または皮肉や反語(ジョークとニヒリズム)なのか?(例えば今回なら43、44など)どこまで文字通りに受けとるか、作者の真意にご注意ください」

『戯言集』

38

私は父の悲痛な さびしそうな顔を
未だに忘れる事が出来ない
お父さん
許して下さい
私が生れ出た事
此れはお父さんにとっては 死を予定した出来事だったのです

39

殺しあう事も 憎みあう事も
みんなさびしいからなんだ
誰もかも みんな じっとして居られないのだ
みんなは一つの塊りなんだ
それが 割れたり壊れたりするんだ

40

山鳩よ ひょろひょろと鳴け
川魚よ 涙を溜めてピチピチと泣け

41

それで
私は実につらい口惜しい
それで
私は実に恐い情けない
それで
私は実に生きて居りたいのだ

42

私は死を考えると まだたまらない気になる
死ぬのがどうしても厭なのである
しかし之は 私の狂った頭丈の考える事であって
私の肉体は 日々死を迎えるに忙しく
日々腐りつつあり 死に達せんとする準備を営みつつある

43

たとえ何んなに穢いまづいめしでも
三度三度欠かさずに食べられる事は 重大な原因だ 此れは人間同志が限りなく感謝しあって好い事だ

44

人間は自分の死を 惜しまれ なげかれ とてもたまらない事のように思われるような人間にならなければならない
(以下次回へ)