人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋新吉詩集「戯言集」(10 ・完)

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最終回。
「高橋を敬愛していた中原中也は生涯高橋を優しく美しい心の持ち主と慕っていました。詩を読む限り高橋には烈しい面もあったように思えます。他人や社会への違和感にも敏感な人だったでしょう。こういう悩みを持つ人は本来賢くて優しいんですね。それが優しすぎたり賢さに慢心するあやうさもあって、自らつらさを招いたりもする。この詩人の場合は過酷な入院体験を経て、一歩引くこと、作中の言葉だと『あまり熱くなるな/風が吹くように生きられないか』という変化があったと思います。また、高橋にとってそれまでダダイズムは世界への違和感の個性的表現だったと考えられます。それが入院体験によって徹底的な自己否定に達し、ダダの発想と表現のままに個性を超越したものを目指すようになった。そこから禅とダダという発想に至ったと思われます。『死の準備はしなきゃならんし/バケツは修繕せにゃならん』という冗談もそこから生まれてきたものでしょう」

『戯言集』

60

私は絶望の真ん中に居る
そして絶望の右と左には鍋とはがまが居る 犬か豚の食うような食物にあまんじて
私は生きていなければならない 決して私は安楽にめしを食って生きているのじゃない

61

短夜を
つまり私は 一枚の着物に過ぎなかった

62

我々はきっと生れかわる事があるのであります
それはキリストが再臨するばかりでなく
我々は既に誰かの生れかわりなのであります

63

牛や馬や豚よ
おう牛や馬や豚よ
鳥が鳴いているのを君達は何んな風に聞いているのか

64

世の中は斯うしたものか それで先に急いで死んだ人が利口なと言う事になる
私はでも死ねない
死の幸福を先に先にと延ばして 苦しみもがき あえいで生きている

65

そんな世迷い言や 厭世家めいた事を言うのは 君の心に余裕があると言うものだ
煙が廂を匍うている

66

人間はあまりに今まで魚を食べ過ぎた
それで私は魚の食べものになろう
海に死んで

67

海を丁寧に覚えている人間があろうか
夢なんか丁寧に覚えていたところで 何にもならないのだ
ところが 人生も又夢の如きだとすれば
何うしたら好いか
(連作長編詩『戯言集』完)