人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

仏サイレント期の閨秀映画作家

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「けいしゅう」と打っても「閨秀」は出ない。ろくに本も読んでいない携帯だ。恥ずかしい。
念のため註記すると、閨秀とは才女という意味です。秀でた閨(=女性)と逆さ読みだから漢文由来ですね。本当?

フランスの女流監督ではアニエス・ヴァルダが有名だが、サイレント期にも映画史に必ず出てくる閨秀作家がいた。
サイレント時代はアメリカより先にイタリア、次いでドイツの順で映画産業が発達し、フランスは連続活劇「ファントム」や大作主義者アベル・ガンスの存在はあったものの、ハリウッドの急速な成長や映像トリック満載のドイツ映画、さらに国家予算投入のソヴィエト社会主義プロパガンダ映画、近代演劇の本場の北欧映画にも後れをとった。パリは夜の娯楽に事欠かない街だからとも言える。映画が大産業に発展する地盤がなかった。
そこでサイレント最後の10年間は自主制作作家がフランス映画を牽引することになる。ドイツの「表現主義」映画では実験性がそのまま娯楽性に結びついていたが(広義の怪奇映画が多かった)フランスでは純粋に芸術性が求められた。だって自腹だもん。客なんか入んなくていいもん。

ジュルメーヌ・デュラック夫人(Germaine Dulac,1882-1942)は資産に恵まれていたのだろう。芸術映画の作家の大半が寡作ななか、次々と中短篇を送り出したのは社交的な手腕も想像される。たとえば前回紹介した亡命ロシア人作家キルサノフがデュラック夫人ほど恵まれた条件で監督作品を制作できたとは思えない。

デュラック夫人には完全な映像実験の短篇も多いが、ドラマ性も含む代表作は次の3作だろう。

・'La Souriante Madame Beudet'1922「ブーデ夫人の微笑」(上・38分)
世界初のフェミニズム映画と呼ばれる作品。倦怠期のブルジョア夫婦を描く。

・'La Coguille et le Clergyman'1927「貝殻と僧侶」(中・5分)
貝殻男と僧侶の海辺の死闘。孤高のダダイスト、アントナン・アルトー脚本。

・'L'invitation au Voyage'1927「旅への誘い」(下・40分)
有閑階級の船上パーティと恋愛遊戯。船は船出せず、遊戯も終る。着色版。

時代はベル・エポック、雰囲気漂いなかなか面白かった。なんだよ貝殻男って(笑)。