金井美恵子(1947-・東京生れ)は1968年に石川淳の推挽で太宰治賞投稿作「愛の生活」で小説家デビュー。70年代初頭と80年代初頭に2冊ずつの詩集を持つ。
『ハンプティに語りかける言葉についての思いめぐらし』
おお! ハンプティ・ダンプティ!
おお! 詩人!
ひそかにあんたのことを思い出すわ。
最初の一口が杏子の味のする煙草、
胃から吐き出す時、
新しい甘酸っぱい肉眼が胃の縁で翻転する。
あたしはあんたのことを考える。
言葉という言葉を、その固まらない粘液を、
お! ハンプティ、分解して
その縁をめぐって 逆さまに
落ちていくあんたの姿!
言葉という言葉は、なお複雑に
なお意味を剥奪され 彼方へ! あんたの夢の方へ夢の中で目ざめる為に。
夢の売人は夢を買う。
薔薇色のお尻から夢のなかの夢のように
うす桃色に開いていく殻は あんた
あんたのことを思うわ。ひそかに。
ハンプティ・ダンプティ
言葉という言葉が あんたの支払いを待って
週末におしよせてくる
あたしがハンプティの恋人ならば
あたしは微笑で顔に穴をあけ
その光景をながめます。
靴を脱いで裸足になって デュオかなんか口ずさんで
時々高く悲鳴をあげる。
顔に穴をあけたんだもの。
秋になったら、二枚の幻灯を見せてちょうだい
ね、ハンプティ。あら、ダンプティ、
言葉という言葉の縁の 軽やかな色彩のネクタイが
驚いた! あんたを塀に吊るす
そう。ハンプティ。
ねぇ、なんでもないわ。
かなうものなら、ハンプティ、
言葉を貫く、あんたの持ってない剣の
きっ先で あたしは死にたいわあ。
夢の売人ハンプティ、
あんたの剣のひと振りふた振り
そう。死ねないならば、
城の兵士たちの馬という馬を空に吊り下げ
広がりつづける白い野原を 逆落し、
秋になったら 二人で旅しましょう。
それがあたしの心意気、
愛による自己束縛の
とかれるのを待っている謎々だもの。
註○ハンプティ・ダンプティ
《鏡の国のアリス》に登場する卵の形をしたひどく居丈高でえばりちらすくせにおくびょうな詩人。
それは彼が卵だからで、なにしろ落っこったら割れてしまうのに違いないのだから。
(詩集「マダム・ジュジュの家」1971より)