人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

『アイスクリームの皇帝』

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作者ウォレス・スティーヴンス(Wallece Stevens,1879-1955)はアメリカの詩人。生涯を保険会社勤務で過ごした経歴は作曲家チャールズ・アイヴズを連想させる。処女詩集「ハーモニウム」(Harmonium,1923)は44歳。戦後急速に評価が高まり20世紀アメリカ最高の詩人と目される。以前にも「ハーモニウム」からご紹介したが、押し入れを探していたら学生時代に買った註釈つきのスティーヴンス詩集が出てきたので、この詩も好きだったなあ、という作品を訳出する。
ティーヴンスと同時代のアメリカ詩にはユニークな詩人が多いが、スティーヴンスの「平易なわけわからなさ」は格別で、象徴主義シュールレアリスムというフランス詩の発想とはまるで異なるものだ。たとえば中原中也がスティーヴンスの詩を認めるとは思えない。ぼくもスティーヴンスの詩のどこが面白いのか説明する自信はない。
この詩では一ヶ所だけ難解な行がある。それを含めて既訳(3種ある)もぼくの訳もあまり変わらない。そのくらい平易な原文なのに、発想の源が特定できないつかみどころのなさがある。では訳詩を。

『アイスクリームの皇帝』

大きな葉巻を巻く人を呼びなさい、
筋肉質な男を、そして彼に命じよ
台所のカップに淫らな凝乳を泡立てておくようにと
女中たちにはいつも着ている服装のままで
だらしなくさせておけ、そしてボーイたちには
先月の新聞紙で花を包んで持ってこさせよ
あるものを見えるものの決着にせよ
ただひとりの皇帝はアイスクリームの皇帝だ。

ガラスの取手が三つ足りない化粧箪笥から
あのシーツを取り出せ
かつて彼女が孔雀鳩を刺繍して
それを拡げて顔を覆ったのだ
もし彼女の尖った足が突き出るなら
彼女が寒くて黙ってしまったのがわかる
ランプに光を貼り付けなさい
ただひとりの皇帝はアイスクリームの皇帝だ。
(前記詩集より)

「あるものを見えるものの決着にせよ」
'Let be be finale of seems.'
この訳でいいのだろうか?あるもの(be)を見えるものの決着(finale of seems)にせよ(Let~be)。それとも「存在を最後に見えるものにせよ」か?この行だけが謎を解く鍵のように放り込まれているのだ。