例によってネタ本・筈見恒夫「映画作品辞典」1954から引用する。
○羅生門(日、大映、1950)封切られた当時は識者の間でも賛否こもごも、とにかく風変りな野心作であることは認められながら、「キネマ旬報」のベスト・テンでも第五位だったものが、ヴェニス国際映画祭でグラン・プリを受けるという栄誉に浴して以来、世界各国で絶讚を博し、アメリカではアカデミィ外国映画賞を獲得して、日本映画を代表する世界の作品となり、監督黒澤明の名を海外に轟かせた。芥川龍之介の「藪の中」の映画化で、平安朝のある武士殺しの事件を、四人の人物が語るにつれて展開する四通りのナラタージュ(証言)が皆それぞれ喰い違い、その相違点を通して人間の利己主義から出た虚偽をあばきたてた異色作。(キャスト略)
ストーリーは別のネタ本・田中純一郎「日本映画発達史」1976が詳しい。
○羅生門(データ略)時は戦禍と疫病と天災の打ちつづく平安朝、ところは都に近い山科の藪の中に、旅の侍金沢の武弘(森雅之)が胸の一突きで死んでいる。この死体を発見したのは薪売り(志村喬)と旅法師(千秋実)の二人だ。検非遺使の調べで容疑者の多襄丸(三船敏郎)という盗賊と、武弘の妻真砂(京マチ子)が放免(加東大介)にしばられて使庁に曳かれた。検非遺使は巫女(本間文子)の口を使って殺された武士の死霊をよび出し、盗賊と、妻と、死霊の三者に、それぞれの立場で事件の真相をかたらせる。しかしおのおのが自分の都合のよいように話すので、どれが真相かは誰にも分らない。薪売りは自分の目撃したという真相らしいことをいうが、これもどこまで真相か分らない。羅生門の軒下に雨やどりしている下人(上田吉二郎)はひとりでつぶやく'本当のことがいえねえのが人間さ、人間って奴ァ、自分自身にさえ白状しねえ事がたくさんあらァ'。
-ほとんど引用で学生の小論文みたいだが、歴史的文献なのでお許し願いたい。この映画のインパクトは「夫の目の前で妻がレイプされ、夫は殺される」という当時としては異常な設定だが、引用したどちらの文献も設定の前半を省いているのにお気づきだと思う。
それから、古びる新しさと古びない古さに分ければ、溝口健二や小津安次郎は後者だったが黒澤は前者だったのがよくわかる。もちろんそれも巨匠のひとつの姿ではある。小劇場演劇のようでもある。