人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

悲しいぞJB

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図版(下)を音楽誌で見た時は悲しくなってしまった。あのJBがこれではただのじいさんではないか。雑誌を買って妻(当時)に見せた。「また家庭内暴力らしいよ」「また?」
「それでもこんな写真を公表してはいけない。つらくてしょうがない」
ああ、おれってこんなにJB尊敬してたのか、とわれながら意外だった。ほかのどのミュージシャンでもこんな気持にならない。だからJBの訃報の時にも躁鬱の病相の最中だったので頭がおかしくなった。ファンだなんて思ったこともなかったのに。

ジェイムズ・ブラウン、1933-2006。米サウスキャロライナ生れ。リズム&ブルース、ソウル歌手・バンドリーダー。独特の作曲・アレンジ・唱法により「ファンク・ミュージック」と呼ばれる音楽の創始者となって、ポップスやロックにも広い影響力を誇る。アレサ・フランクリンの「クイーン・オブ・ソウル」に対して「キング・オブ・ソウル」と呼ばれる。
…というあたりがJBについての基礎知識だろうか。まあ生地までは知らなくてもいいが(でもないか。アメリカ南部なのだ)

○図版(上)1974年来日公演
アルバムでは「ソウルの革命」から「グッド・フット」「ザ・ペイバック」「ヘル」と2枚組の力作を連発していた時期。60年代初期、60年代後期と並んで創造力は最後のピークだろう。この後ディスコやブラコンの流行でしばらく迷走するが、それも仕方ない。

図版(下)1986年来日公演

映画「ロッキー4」への提供曲「リヴィング・イン・アメリカ」の大ヒットと久々の力作アルバム「グラヴィティ」で復活、ステージもマイケル・ジャクソンそこのけに元祖ファンキーの意地を見せつけた頃。この年に始まった「ロックの殿堂」でチャック・ベリービートルズボブ・ディランと共に第一回の殿堂入りを果たす。ただし私生活では奥さんに発砲し車で追い回して実刑判決を受ける等トラブルが相次ぐ。

図版(下)2004年自宅逮捕

またやってしまった。今回は示談で収まった様子。
亡くなる前年の世界ツアーで、JBは通訳を立ててラスト・ツアー宣言をしている。ついにその時が来たか、と記憶も生々しいうちにJBは静かに老衰死した。クリスマスイブだったように思う。以来12月といえばジョン・レノンよりもマジック・サムよりもJBの亡くなった月だ。