人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

村野四郎『魚における虚無』ほか

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 村野四郎(1901-1975・東京生れ)は戦前からの長い詩歴を持ちながら、戦後に広い読者を獲得した詩人。知的で平易な作風をもつ。代表作を3篇挙げよう。

『魚における虚無』 村野 四郎

ぼくたちは自らの脂で煮つめられ
自分の脂に浮いていた
眼をあけたまま
錫びきの罐に密閉されて-
何の音もきこえなかった

或る日 ぼくたちは解放された
そして
途方もなく巨きい屋敷の塀の外へ
空罐は抛り出された
だが その時
ぼくたちは もう無かった
(詩集「実在の岸辺」1952より)

『さんたんたる鮟鱇』 村野 四郎
 ~へんな運命が私をみつめている(リルケ)

顎を むざんに引っかけられ
逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くったりした死
これは いかなるもののなれの果てだ

見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜も切りさられ
もう 鮟鱇はどこにも無い
惨劇は終っている

なんにも残らない廂から
まだ ぶら下がっているのは
大きく曲がった鉄の鉤だけだ
 (詩集「抽象の城」1954より)

『鹿』 村野 四郎

鹿は 森のはずれの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることが出来ただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして
 (詩集「亡羊記」1959より)

 比較対照として現代俳句とアメリカ現代詩を見よう。

鮟鱇の骨まで凍ててぶち切らる 加藤楸邨(1948)

『完全なる破壊』 ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ

氷のような日だった
ぼくらは猫を埋葬した
それから その箱をとり
マッチで火をつけた

裏の庭で。
地面と火から
のがれ出た蚤たちは
寒さのために死んでしまった
 (村野四郎訳)

なめくぢも夕映えてをり葱の先 飴屋 實(1981)