人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Sounds And Fury(響きと怒り)

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○コメントと断片より

(1)たとえば部落差別、職業差別、人種差別、性差別には差別反対の団体が組織されています。ところが障害者差別は反対団体が組織化されない。西日本は東~北日本とは比較にならないくらい酷いようですね。罵倒語として「身障」「精障」などと普通に使う。「身障。逝ってよし」とおぞましいコメントがとびかうブログを見たことがあります。呆れたことに携帯でも「身障」は一発変換です。
これまでブログに書いたことはありませんが、ぼくの父方は躁鬱だけではなく部落出身か、部落出身ではないが部落と密接な関わりがあった可能性があります。広島県・佐伯という姓・祖父の代が革靴屋というのがその痕跡です。ぼくはクリスチャンで神の国の市民だから部落差別も「がんばれ日本」もケッですが、自分の数代前の肉親が生まれながらに差別されて生涯を終えたと思うと悲しいですね。ちなみに別れた妻は秋田出身ですが交際まもなく打ち明けたところまるで気にしませんでした。娘たちも強く優しく育ってほしいものです。

(2)花田清輝の江戸文化研究「日本のルネサンス人」他でも裏付けがある。戸籍のない非人たちを管轄する武士がいた。生皮はもちろん非人の取扱い品目だ。非人の代表が佐伯を名乗ったか、武士が佐伯か。

(3)身体・精神障害者はクリスチャンには多いので、教会では「ハンディキャップ(のある人)」と呼ぶ慣習になっています。神の目から見れば精神障害者はいないでしょう。不完全な人間が世界には溢れているだけです。
ぼくの家系を部落出身だと言い出したのは結婚前に交際していた山口県出身の女性のお父さんで、西日本は歴史が古いので外来者や階級意識もつよいんですね。佐伯というのは平安時代までさかのぼる「管理職」という意味の武士の名字だけど、「広島で佐伯なんていうのは穢多だ」というのです。彼女は気にしませんでした。別れた原因は倦怠期です。お父さんは家中に会社の人間が監視カメラや盗聴機を仕掛けている、と会社でトラブルを起こして山口へ帰っていました。-いずれにせよ、人間は平等に尊重されるべき人格を本来備えている、というルソーの提唱からほとんど前進していません。平民の子供の場合、無条件に義務教育を受けられるようになったのも100年ほどでしかありません。非人の廃止も高々1871年のことです。