人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(23)中庸プログレッシヴ・ロック

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中庸というのは全然褒め言葉になっていない。女性の顔立ちを十人並みと言うようなもので、首を絞められても文句は言えない。中庸には中庸の美点があるとはいえ、決定的な魅力に欠けるのを中庸という。美人は三日で飽きるかもしれないが、最初から魅力に乏しいのでは飽きる以前の問題で、しかもわざわざ中庸を狙ったわけではないだろう。単体で聴けばどれも結構な力作なのだ。上から、
○ジェット「消えゆく希望の灯」1973(画像1)
○チェリー・ファイヴ「白鳥の殺意」1975(画像2)
○ロカンダ・デッレ・ファーテ「妖精」1977(画像3)

いずれもアルバムは一作しか残さなかったバンドになる。このうちジェットは日本でもシングル・ヒットを記録しており、アルバムに追加収録されている(『グロリア、グロリア』)。ジェットの中心メンバーは76年に女性歌手を迎えてマティア・バザールを結成、再デビューし大成功をおさめる。ユーライア・ヒープ影響下でニュー・トロルスを小粒にしたようなジェットだが、実は器用なバンドだったのだ。

ジェットは伊語詞だったがチェリー・ファイヴは英語詞。これがまたイエスにそっくりなサウンドで、偶然だがイエスでももっともストレートなリズム・アレンジを聴かせる「ドラマ」1980を先取りしている。ヴォーカリスト、ドラマー(「ルスティチェリ&ボルディーニ」のボルディーニ)しかクレジットがないが、全曲の作曲に後にゴブリンに参加するクラウディオ・シモネッティの名前があり、曲目からシモネッティ在籍のバンド(アルバムなし)のリトラット・ディ・ドリアン・グレイ (「ドリアン・グレイの肖像」)のレパートリーと推定されることから、リトラットのアルバムと見なしても良さそうだ。器用なものだ。ゴブリンとは映画サントラでイタリア屈指の国際的人気バンドになったあのバンドです。

器用といえばロカンダ・デッレ・ファーテ(以前ご紹介のクェラ・ヴェッキア・ロカンダとは混同なきように)もスタジオ・ミュージシャンの集合体だという。アメリカで言えばTOTO(そういえばTOTOもイタリア系バンドだった!)。77年といえばプログレッシヴ・ロックとしてはギリギリなので、一作きりにせよよくぞやった。八人編成の大所帯でよく練れた演奏を聴かせる。ただし曲はともかく歌(伊語)は魅力に乏しい。やむなし。