人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

And It Stoned Me(骨まで痺れて)

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○コメントと断片より

(1)いらっしゃいませ。サブ・カルチャー=反商業主義にはカウンター・カルチャーという中間項がありましたが、せいぜい80年代初頭まででしょうね。カウンター・カルチャーという結接点を失ったらサブ・カルチャーは急激に商業主義に向かいます。ファッショと同じ原理です。
地域性との関連で見ると、ドイツでは非・土着的、イタリアは土着的、フランスは折衷的に進みました。それぞれの国の戦後文化の風潮によるものだと思います。ドイツは思想的基盤ごと焼け跡文化でした。イタリアでは思想的にも国民文化的も痛手を負いませんでした。フランスは敗戦国に近いダメージを負い、思想的分裂がありました。
面白い議論ですので、再コメントお待ちします。では。(追・再コメントなし)

(2)ナイショ投稿にします。なにかきっかけがおありになったのもしれませんが、あなたが「思い上がって」いたとは思えませんし、もしその時はそうだったとしても誰にでもあることですよ。たとえば最近ぼくが経験したこと。
半月ほど前、人に勧められて記事を書いたことがありました。自分では選ばないテーマです。掲載前に目を通してもらおうと送ったら、小説教室もやってらっしゃるというその方は「全然なってません。もうけっこうです」とお断りになりました。その方もぼくが本職(だが休職)のフリーライターなのを承知の上で勧め、「なっていない。お手上げ」ときたわけです。速攻お気に入り登録削除されてたのには苦笑しました。
こういうことは水に流すことにしています。先方にもぼくにも思い上がりがあったのでしょう。正直に言ってぼくは作文教室では教えない書き方を(いつも通り)したので、作文教室的に全然なってないと言われて「この人おれを思い違えてたんだな」と気が抜けたのでした。
唐突にまとめだけれど、ぼくは少なくとも励ましをいただいていますよ。無理な励ましではなく、この人がいるんならおれだって弱音吐かないでやっていくぞ、と更新読むたびに力づけられます。ありがとう。

(3)同じこと(サナギの脱皮)が保育園児だった頃の長女にもあったな、と思い出しました。長女が第一発見者グループだったので帰宅後も興奮気味、以来園庭にアゲハ蝶が飛んでいると「また来たよ」と喜んでいましたね。忘れていないかもしれないことです。