人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

レッド・ミッチェルのベース!

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ベースほど日陰の楽器はない。本当はベースの役割はすごくて、ギターとピアノとドラムスの役割を一身に務めるだけの表現力があるのだが、普通のバンド編制では「誰がやっても同じじゃん」と言われてしまう楽器だった。

本当に「新しいベースのスタイル=新しいジャズの可能性」を示したのはスコット・ラファロ(ビル・エヴァンズ・トリオ)とチャーリー・ヘイデン(オーネット・コールマン・カルテット)で、このふたりはあまりに個性的なスタイルをひっさげて登場した。

すると「あいつらはどっちもおれの弟子」という先輩風が必ず吹く。それがこの記事の主人公、レッド・ミッチェルさんで(故人)、ほとんどモンクやパーカーと同時期にN.Yのビ・バップ・シーンで研鑽し、ジャズ市場がL.Aに移るとL.Aで活躍。やがて名を上げ、初のリーダー作「プレゼンティング・レッド・ミッチェル」1957(画像4)を発表。当時の黒人ジャズはビ・バップからアレンジを強化した「ハード・バップ」に移行していたが、混成バンドのミッチェル・カルテットは良い意味でビ・バップをよりリラックスした、マイルドなものにした。

その後もN.Yのジャズ再興に乗ったり、40年代末からジャズが盛んな北欧に渡って、最晩年に帰国するまで30年間ストックホルムを拠点に過ごす。どこの国でも事情は同じで、ドラムスなしのクラブが増えた。

リー・コニッツ&レッド・ミッチェル「アイ・コンセントレイト・オン・ユー」1974(画像1)は25年以上になる盟友とのデュオ・アルバム。コール・ポーター集。アルトサックスとベースのデュオで音楽になるのか?なります。コニッツはやや枯れ気味か。

フィル・ウッズトミー・フラナガン、レッド・ミッチェル「スリー・フォー・オール」1981(画像2)名手フラナガンのピアノもいいが、コニッツとは対照的なウッズのアルトに惚れ惚れする。ビル・エヴァンズ追悼曲はウッズの名曲。

○モニカ・ゼッテルランド、ニッセ・サンドストローム、ホレス・パーラン、レッド・ミッチェル「フォー・レスター・アンド・ビリー」1984(画像3)ビリー・ホリディとレスター・ヤングへの追悼曲集。それをスウェーデンのビリーとレスターが歌い、吹く。ジャケ画も描いてるテナーがたまらない。実はこれ、隠れた名作といえる出来。無名盤に終らせるのは惜しい。