ミシェル・フーコー(1926-1984)は哲学者だが、その領域は歴史哲学、法哲学、精神疾患、性愛史に及び、それは同時代の新しい研究成果に基づいたものだったが、フーコーの一連の大著がなければ60年代から80年代にかけての哲学界も停滞してしまっていただろう。
フーコーの著作は7冊、
・「狂気の歴史」
・「臨床医学」
・「レーモン・ルーセル」(作家論)
・「言葉と物」
・「知の考古学」
・「監視と処罰」
・「性の歴史」
そして次作の構想は「生成する政治・統治」だったという。
フーコー生前の著作はベストセラーになったがどれも長大、とはいえ手軽な入門編もないし、というところ、雑誌発表の論文・対談・インタヴューを年代順に全て網羅した「ミシェル・フーコー思考集成」全10巻が刊行され、内容はフーコー自身による自著の要約、解説、疑問への応答だから格好だった。
そこでちくま文庫版では「フーコー・ガイドブック」を別巻に、「思考集成」からテーマ別に抜粋した「フーコー・コレクション」全7巻に再編集して普及版とした。テーマはおおよそ先述したフーコー生前の大著に準拠したものなのがおわかりいただけると思う。また、すべてに「…の歴史」と補ってみるとよりフーコーの言わんとするところがわかりやすい。全6巻はフーコーの研究対象の推移に沿ってもいる。
1.狂気・理性
2.文学・侵犯
3.言説・表象
4.権力・監禁
5.性・真理
6.生政治・統治
「常に弱者の側に立つ」と信念を曲げなかったこの人は、まだ56歳でエイズのために早逝した。
研究テーマの流れを追っても、権力が時代に応じていかに人民を監理してきたかをさまざまな題材から検討している。また、人民の側ではどうだったか?完全に通常の文学文法から逸脱して書くレーモン・ルーセルのような作家は?
政権交代や戦争のような大きな出来事でなくても(地下で物事が進められている分)いつの間にか日常化している多くの監理がある。ほとんどが国家をその単位とした、生ける政治による統治のシステム。
フーコーはそれらを明らかにしようとし、問題の提出にはかろうじて成功した(哲学者とは問題を解明する人ではなく、問題を見つけ出す人ならば)。
だがフーコーは読まれ続けるとは思うが、状況はフーコーの時代より少しでも良くなっただろうか?