第一回で立中潤・氷見敦子の第一詩集(と言っても立中の生前刊行詩集は1冊しかない)から巻頭作品をご紹介した。たった3歳の年齢差、詩集刊行年度もわずか6年離れているだけなのに、個人的な作風の違い以上に詩を成立させている(または成立を阻んでいる)言語意識のありかた自体がまったく違う。
一般的に、作品が作品である条件は、表現の次元で作者と読者に最小限の共通意識があることで、真の狂気から生み出された作品に優れたものがないのもこの説の裏づけになる。氷見敦子の公的な第一作は今日の観点からも詩としての透明な叙情性をそなえる。再び引用しよう。
『水幻』
椰子の並木をこえると
月がりんと冷える
葉影から海はながれ
胸のすく思いで
私は半島に立つ
身をひるがえすたびに
闇にはじけて
白刃が波間にきらめく
苦痛に似た仕草だから
あなたには問うまい
瞼のふちから
光を振りはらい
息をころすと
またひとつ 私の網膜から
町が姿を消す
(詩集「石垣のある風景」より、第一・二連抄出)
第一連から第二連の転調は明白に荒川洋治~井坂洋子の技法的影響を感じさせるが、素直な素質の良さを感じさせる。この作品が大学卒業の78年10月の「詩学」研究作品に選ばれたことで氷見の詩的出発はほぼ決定したと言える。
一方、氷見と比較すると悲痛なほど、立中は不安定な言語意識をその作品に反映させた。第一回では抄出したが、せめて第一連全体は再引用しよう。
『彼岸』
目蓋にかかってくる幾匹もの蝶の死骸
はじき出されてしまった世界を
盲目で見つめて
深く倒れ 衰弱の意味を生かしめようと
背負う萎縮した核のようなもの
泳ぐ金魚の視線の鋭角に屈折する地点で
巨大な爆発音をとりこむ
その片側で素直な魚達
が鰭を揺らしてねじれていた
負性の群れ達を陰気に殺すそのねじれ
に親しく彷徨う陽炎があり 彼らの
しぼんだ口唇から
白い空気が無闇に流れこんでくるとき
夥しい瀕死の蛆虫が這いまわり
生の卵巣に帰館しようともがく
(詩集「彼岸」より、第一連)
氷見が25歳から30歳までに5冊の詩集を持ち、世に迎えられた詩人だったのに較べても、立中22歳の生前唯一の詩集は酷評か無視しか招かなかった。その意味を、さらに辿ってみたい。