人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(5)詩人氷見敦子・立中潤

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「詩」ほど多くの夭逝者から成り立ってきた分野はない。それは詩に向かう書き手たちの生活によるものなのか、性格によるものなのかはにわかに断言できない。キーツランボーのように死の匂いとまったく無縁な夭逝詩人もいるのだ。

または、まったく非科学的なことだが、ある種の予感から協力者も(本質的には)必要とせず、作品形成にも時間をとらない「詩」に向かったのが結果的には「夭逝詩人」の本能的選択だったのか、とも思われる。
しかし、俳句・短歌には早くから病気療養者のための詩型式という側面があり、そのこころは「短さ」だった。自由詩の場合ひとつのサイクルは1冊の詩集になる。夭逝詩人は生涯1冊の全詩集に向けて詩作している、とも言える。

氷見敦子も冊数は多いが、自選詩集が6冊で140ページ、詩集未収録作品が40ページ(以上「氷見敦子全集」より)と詩作歴10年で決して多くはない。氷見と同じく30歳で夭逝した中原中也は氷見全集とほぼ同じ組み方の角川書店版1巻本全集で全詩集は250ページだが(現在は新発見作品を加えた角川文庫版「中原中也全詩集」750ページが最良)中原は16歳からの詩作歴があり、同年齢の夭逝詩人としては詩作歴に応じて、ほぼ同量の作品を残した、と見てよいだろう。

氷見は第二詩集でまた新たなスタートを切る。巻頭作品を見てみよう。

『異性』
三丁目五番地の商店街に
異性があふれている
二月の寒気をかすめて
あたしを突き動かしていく異性の顏
ロータリーの乾いた塵を払って
「たかし」の周辺に
海岸行きのバスの翼が折れている

パーラーの角から
さわぐ海の縁がのぞいています
そこから波を巻きつける「たかし」の瞳は
毬鞠のように
斜面を転がる球形だったよ
球形のはしに
バスの箱をつなぎとめる
海の輪郭が
ひかりの輪をくぐり抜けていく歳月には
パーラーのあおい座席から
おんがくも北緯へ傾き
ピアノ線を走る海の瞼が
あたしの胸にかぶさってくる

肺がしずかに発熱しています
いまは、病棟の下
他人の看板をたてて歩く異性よ
風が泳ぐ日には
商店街のあちこちで
看板が冷たい音を刻んでいる
にぎわいが
ばたばたと発っていく二年目の冬だ
(詩集「水の人事」1982より)